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2月21日(2020年) 不可解な(?)行動 

この日、私は平塚のスタジアムに参戦した。前年末に会社務めを辞めていた私は、早い時間に現地入りし、スタジアム脇の公園で長閑な早春の陽光を浴びていた。3日後に衝撃的な「シーズン中断」発表がされる気配など微塵も感じさせない、ゆったりとした時間に身を委ねていた。

実は、この日の試合後すぐには帰宅せず、平塚駅南口にあるビジネスホテルに1泊した。即日帰宅も可能だったが、せわしない行程を避けるために現地宿泊を選択した。ただ、今でも解せないのであるが、翌日何処にも寄らず、午前中には自宅に帰っていた。特別、用事があった記憶もない。平塚市街や寒川神社、相模線経由などを巡るという発想が起きていなかった。朝、7時過ぎの東海道線に乗り、そのまま自宅へ直行したのだから、「おまえ、なんで平塚に泊ったの」と、後で周囲からいろいろ言われたのも道理である。

実は、このような不可解な行動が幾つかある。エコパで初めて試合が組まれた年は、クルマで現地に下見に行った。スタジアムの先の法多山に広い駐車場がある事、掛川ICからの道が一本道で、帰路は一つ先の袋井ICを使用した方がすんなり東名高速に乗れそうなことなど収穫のある下見だったが、この時も早い時間に現地に着いていながら、視察後は掛川城や御前崎等への観光には目もくれずに、すぐに帰京していた(途中、愛鷹PAで20分ほど仮眠したくらいだ)。夏休み等の旅行では、取れた休日の日数をフルに使い、初日の早朝に家を出発、最終日は帰京の便を極力遅くし、ギリギリまで現地を歩き回るような私が、である。

また、2007年の神戸ユニバー(平日ナイター)には、夏休みの旅行で訪れた岡山から新幹線で往復した。旅行の初日で岡山城や後楽園を観光し、ホテルにチェックインした後新幹線に乗り込んだのだが、なぜ1泊目を神戸にしなかったのか、今もって自分でもわからない。ただ、岡山から往復したことによって、当時新大阪以西でのみ走っていた「ひかりレールスター」(普通車でも海側、山側ともに2列座席)に乗ることが出来た。

3日後の衝撃的な発表と合わせ、自分でも不可解な現地泊を行なって参戦した平塚。思い出多き(?)参戦だった。

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