遠山勤

浦和レッズサポーター29年生です。

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マガジン

  • 2011年と今年のカレンダー

  • 3月7日 埼スタで感じたこと

最近の記事

2月28日(2017年) 流れ

FCソウルに快勝した。ACL初戦の4-0に続く5-2。前年のラウンド16でのPK戦敗退の雪辱を果たし、気分も高揚した。 国内の試合ではスーパーカップ、リーグ開幕戦とともに敗戦していたが、流れは悪くなかった。事実、このFCソウル戦以降、3月15日のACL・アウェー上海上港戦で敗れた以外は良い流れでシーズンが推移していった。浦和歴代最長政権となったミシャ監督のサッカーが浸透、バージョンアップしたと感じていた。 だが、4月30日のアウェーの「さいたまダービー」を0-1で落とすと

    • J1でお待ちしています

      クリアソン新宿関係者の皆様、今年も我が町のイベント「染の小道」に出店して頂き、ありがとうございました。昨年はチームグッズを、今年は選手が染物工場で作成したタオルを僅かばかりですが購入させて頂きました。 私は、中井で生まれ育ち、今なお在住しています。東京都内随一の染物の町ですが、普段はごく普通の住宅街です。道が狭く建物も密集し、故にナショナルチェーンのコンビニが出店したのも遅く(出店された近くのファミマが、酒屋からampmに衣替えしたのが最初)、流れる妙正寺川も私が子供の頃は

      • 2月26日(2013年) お金の威力

        以前の投稿でも触れたが、生まれてこの方58年と9か月近く、日本以外の地を経験したことが無い。故に、この試合も現地参戦していないのであるが、0-3の敗戦。チャイナマネーに物を言わせ、著名な外国人監督や選手を引っ張ってきた「お金の威力」を見せつけられてしまった。 次のホームゲームのMDPで現地の様子を写真で見ることが出来たのだが、物々しい警備に目を奪われた。2007年の上海の写真では、そんな印象はかけらもなかったから、中国で何かが変わったのだろうか。上海と広州とでの違いであろう

        • 2月26日(2023年) 元気です(番外編)

          私が生まれ育ち、今なお在住している東京都新宿区中井は都内随一の染物の町。2009年から毎年(2020・2021年はコロナ禍で中止)2月の最終金〜日曜日に「染の小道」というイベントが開催されている。西武新宿線中井駅を中心に、妙正寺川には反物が、商店の軒先には各染物作家や染物を学ぶ大学生らの作品の暖簾が掲げられ、店頭販売や飲食店も期間限定メニューを出すなど、毎年延べ1万人ほどが訪れる一大イベントになっている。 このイベントに昨年からJFLの地元チーム「クリアソン新宿」も出店。チ

        2月28日(2017年) 流れ

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          2月23日(2019年) またお会いしましたね

          清尾さん、そうでしたね。この日の開幕戦、前年の天皇杯決勝戦の再現でしたね。確かに「おい、天皇杯決勝戦の再現か」と、私も確かに思いました。 似たような感じだったのが、2006年。ゼロックス・スーパーカップで戦ったG大阪と僅か1週間後に再び相まみえることになった。「またお会いしましたね」といった気分だった。この時も、スーパーカップで3-1と倒したG大阪にアウェーで1-1。スコアこそ違えど「勝ち」→「引き分け」の流れは同じだった。 注目度の高い開幕戦に、リーグ側は話題性のあるカ

          2月23日(2019年) またお会いしましたね

          2月20日(2011年) こいつぁ春から縁起でもねえ

          この日も例によって仕事で、結果はインターネットか何かで見ただけだった。「まだプレシーズンマッチだし」という気持ちがある一方で、負けた相手が大宮というのが妙にシャクにさわった気分だった。 鹿島対水戸、柏対千葉と同じ県をホームとするチーム同士で毎年プレシーズンマッチを行なっている例もあるが、浦和対大宮はその例ではない。それで良いと思う。毎年行うと決めてしまうと、キャンプなどの日程にも少なからず影響が及ぶと考えるからである。また、ダービーは極力「真剣勝負」の場でしてほしい、という

          2月20日(2011年) こいつぁ春から縁起でもねえ

          2月21日(2020年) 不可解な(?)行動 

          この日、私は平塚のスタジアムに参戦した。前年末に会社務めを辞めていた私は、早い時間に現地入りし、スタジアム脇の公園で長閑な早春の陽光を浴びていた。3日後に衝撃的な「シーズン中断」発表がされる気配など微塵も感じさせない、ゆったりとした時間に身を委ねていた。 実は、この日の試合後すぐには帰宅せず、平塚駅南口にあるビジネスホテルに1泊した。即日帰宅も可能だったが、せわしない行程を避けるために現地宿泊を選択した。ただ、今でも解せないのであるが、翌日何処にも寄らず、午前中には自宅に帰

          2月21日(2020年) 不可解な(?)行動 

          2月19日(2022年) 天国から地獄

          1週間前のスーパーカップでの勝利は夢だったのか。そう思わずにはいられない開幕戦の悪夢のような敗戦だった。 まず、発表されたメンバーを見て驚いた。先発は「よくこれだけのメンバーが組めたな」と思えるものだったが、控えの選手層が明らかに薄かった。ユースの選手までベンチに入っている。数人の選手がコロナに感染したという情報は入っていたが、この日のメンバーを見て「ここまで酷かったのか」と、あらためてコロナ禍の恐ろしさを実感した。京都サイドには「浦和が舐めて来た」と捉える向きもあったよう

          2月19日(2022年) 天国から地獄

          2月18日(2017年) 何の感慨もない試合

          この日は例によって仕事だった。鹿島とのスーパーカップ。清尾さんと同じく、勝ち点15も下のチームがリーグ戦優勝という事への憤慨が先に立って、鹿島の天皇杯優勝により繰り上がり出場となったこの日の試合にも、私には単なるプレシーズンマッチくらいの気持ちで、何の感慨も無かった。 何度も描いているが、前年のリーグ戦のチャンピオンシップは矛盾に満ちたものだった。年間勝ち点1位でもアドバンテージはチャンピオンシップ1回戦パスくらいしかなく、鹿島との決定戦も2試合合計で同勝敗、同得失点差の場

          2月18日(2017年) 何の感慨もない試合

          2月17日(2009年) 期待8割、不安2割

          就任したフィンケ監督の下での第2次キャンプがスタートした。新しい指導者への期待がある一方で、当時の私には一抹の不安があった。 フィンケ監督就任が明るみに出ると、アドバイザー的役割を担っていたブッフバルト氏が「私は聞いていない」と激怒した、という話を耳にした。また私は、欧州サッカーの情報番組もCS放送で見ていたが、その番組からの情報では、フィンケ監督のドイツでの評判は必ずしも芳しいものではなかった。浦和の監督を退いた後、ケルンのスポーツダイレクターに就任するのだが、ドイツでの

          2月17日(2009年) 期待8割、不安2割

          2月16日(2020年) ぬか喜びのスタンド

          この日、ある決意を抱いて埼スタのスタンドにいた。決意とは「今年こそ、シーチケ対象全試合参戦する」というものである。小売業時代には試合の日を休日にする事に苦しみ、転職したビル管理会社でも水曜日に定時上がりが出来ずに断念した試合があった。2019年末で会社務めを辞めた私は、やっと日程面の不安から解消された(収入面での不安が新たに生じていたが)。 気がかりは、報道等で見ていた日増しに迫り来るコロナ禍の足音だった。この初戦の頃はシーズンの中断までは意識していなかったが、応援の制限(

          2月16日(2020年) ぬか喜びのスタンド

          2月13日(2011年) やはり鬼門だったのか

          この日の鳥栖戦の敗戦には、特別な感慨はなかった。現地参戦せずに、東京で結果を知っただけなのだが「どうせプレシーズンマッチだし」「公式戦に入って負けるより、今の方が課題もはっきりして良いでしょう」などと鷹揚に構えていた。ましてや、アウェー鳥栖戦が鬼門になろうとは、その時点では全く思っていなかった。 ただ、この段階でも十分にベストアメニティスタジアムは「鬼門」と呼べるに値する成績だった。新生・サガン鳥栖として再出発した初戦のナビスコ杯が0-0。J2時代も1試合は相手GKの開始早

          2月13日(2011年) やはり鬼門だったのか

          2月12日(2022年) 最後の「最高でーす」

          この日、日産スタジアムに参戦した。3年前、シュート1本に抑えられた川崎に「お返し」とばかりの2-0の快勝。大いに留飲を下げた。 試合内容も良かったことで、無理もないが我々サポも少し舞い上がってしまったようだ。実際、この日の勝利の印象が強烈で、順位予想で浦和は軒並み上位にランクされ、SNS等にも威勢の良いコメントがあふれた。 ところがコロナ禍で欠場になる選手が出た事もあり、リーグ開幕戦の京都戦ではメンバー編成にも苦しみ敗戦スタート。その後、勝ち切れない試合が続こうとは、スー

          2月12日(2022年) 最後の「最高でーす」

          2月11日(2008年) キャンプのこの時期は

          2006年がシドニーで、2008年はグアムがキャンプ地だったのか。そういえば、プロ野球も第1次キャンプを海外で行う球団が、この頃は多かった記憶がある。温暖な沖縄の施設整備が進んだことで、海外でキャンプをするチームは殆ど無くなったようだ。 私はというと、衣料品小売業に従事していたこの時は、2月のキャンプの頃と言えば棚卸の時期だった。「ニッパチ商戦」という言葉を聞いた方も多いと思うが、衣料品小売業にとって2月と8月は最も売上の低い月である。ともに冬物・夏物は最後の処分期で、いわ

          2月11日(2008年) キャンプのこの時期は

          2月9日(2023年) 健康に勝るものなし

          清尾さん、知りませんでした。「週刊サッカー王国」も「risoNAVI」も。東京都で生まれ育った負の側面か。かろうじて「weps打ち明け話」は毎回、楽しく拝読させて頂いている。それらの「恩人」ともいうべき方も、もうこの世にいらっしゃられないとの事。胸に来るものがあった。 今年の6月で59歳になる。入院するレベルではなかったが、3年前に体調を崩して会社務めをやめた。85歳の母親も3度、ガンの手術を受けている。いずれも極めて初期のもので、退院後も抗がん剤治療等不要のレベルであり、

          2月9日(2023年) 健康に勝るものなし

          2月7日(2016年) 2年越しの悲願

          湘南から遠藤航がやってきた。確か前の年もオファーを出していたと記憶している。この日は、2年越しの悲願が成就した日となった。 2年半の在籍で、ルヴァン杯優勝、ACL優勝とタイトル獲得に大いなる貢献をしてくれた。何度でも言うが、年間勝ち点1位でありながら理不尽な2シーズン制の壁にリーグ制覇が成し遂げられなかったのが惜しい。それでも浦和の「第2の黄金期」ともいうべきチームを主力として支えてくれたのは間違いない事実である。 彼の実力は、海外や日本代表での活躍を見れば一目瞭然。フィ

          2月7日(2016年) 2年越しの悲願