2月13日(2011年) やはり鬼門だったのか
この日の鳥栖戦の敗戦には、特別な感慨はなかった。現地参戦せずに、東京で結果を知っただけなのだが「どうせプレシーズンマッチだし」「公式戦に入って負けるより、今の方が課題もはっきりして良いでしょう」などと鷹揚に構えていた。ましてや、アウェー鳥栖戦が鬼門になろうとは、その時点では全く思っていなかった。
ただ、この段階でも十分にベストアメニティスタジアムは「鬼門」と呼べるに値する成績だった。新生・サガン鳥栖として再出発した初戦のナビスコ杯が0-0。J2時代も1試合は相手GKの開始早々の退場もあって7-0の快勝だったが、もう1試合は0-2の完敗。そして、この日の敗戦。まだ対戦試合そのものが少なく、鳥栖がまだJ2にいた事を考えれば、相性の悪いスタジアムである事に間違いはなかった。
そして、鳥栖がJ1に上がってくるや、このスタジアムでは更に痛い思いを何度も味わうことになる。鳥栖はJ2から昇格してきたチームとしては、唯一降格を経験せずにJ1に定着し続けているチームである。母体企業の撤退で市民球団として再出発した初対戦の頃や、その後も限られた予算規模の中でチーム力を維持、そして徐々に向上させてきた運営には、本当に頭の下がる思いである。昨年は、ユースチームがプレミア日本一も果たしている。今や九州のJクラブのリーダー的存在に成長した。
そんな鳥栖の変遷を見れば、アウェー鳥栖戦が「鬼門」なのも決しておかしい話ではないのだが、今思えば鳥栖のJ2時代にも、その下地は着々と積み上げられていたようだ。今後は天皇杯等で対戦するJ2のチームも、しっかり叩いておかねばならない。「鬼門」は少ない方がいい。
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