【創作長編小説】悪辣の魔法使い 第4話
第4話 当たり前じゃないものだから、当たり前に
黒い大蛇の姿の怪物が、襲い来る。
レイオルは怪物に向かい、青い光を放つ不思議な剣を振るい続けた。
怪物の巨体から鱗が、血が、弾け飛ぶ。
小鬼のレイは、怪物とレイオルの戦いを、ただぼんやりと雨に打たれたまま見つめていた――。
「レイッ!」
レイオルが自分の名を叫ぶ声を聞き初めて、ハッと我に返る。
え。
怪物の尾によってへし折られた太い枝が、それから続けて怪物の尾が、うなるような音を立てつつ、今まさにレイのほうへ向かって飛んで来ようと――。
「レイ!」
ほんの一瞬のできごとだった。
衝撃を、感じた。
しかしそれは、予期していたような激痛ではなかった。
レイは――、土の上にいた。そしてレイの上に、誰かが覆いかぶさっている。
駆けてきた誰かに強く抱きしめられ、レイは勢いそののままに、土の上に転倒していたのだ。
レイを抱きしめたのは、レイオル。
え。
レイは飛び掛かられるようにして、レイオルに抱きしめられていたのだ。
転倒する前にレイの瞳に見えたのは、レイオルの苦悶の表情。そして、レイオルの背に激しく当たって通り過ぎていく、木の枝と怪物の長い尾。
「レイオル!?」
レイオルは、身を挺してレイを守っていた。
「かはっ……」
レイの顔に、鮮血がかかる。レイオルの口から、血が吐き出されていた。
「レイオル!? あなたは、レイオルの分身だよね!?」
レイは今自分を守ったのが、「例の」レイオルの分身なのだろうと思った。スピードが速すぎたし、なにより、レイオルがひどい傷を負うなんて信じたくなかった。
「ああっ!」
レイは思わず叫ぶ。レイオルの頭上に、怪物の大きな口が迫ってくるのが見えたのだ。
俺もレイオルも、丸飲みにされる――!
レイオルが、振り返るようにしながら立ち上がる。手にはしっかりと、剣を握りしめ――。
ドッ……!
レイオルの剣は、大口を開け迫りくる怪物の牙を避け口の中を突き刺し、怪物を貫いていた。
「…………」
レイオルは、小声で呪文を唱えたようだった。上半身が怪物の口にすっぽりと入っていたため、どういう文言か、レイにはよく聞こえなかったが。
「レイオ――」
激しい爆発音がした。レイは息をのむ。飛び散るなにか。怪物の頭が、吹き飛ぶ。
どう、と音を立て、怪物の頭を失くした首から下が、地面に落ちる。
レイオルが、振り返る。血まみれだが、レイオルは無事のようだった。
「ふふ。やったぞ。レイ」
レイオルの左手のひらのに、光る球のようなものが浮かんでいた。
え……、レイオル、あんなでっかい怪物、やっつけた、の……?
すべてがいきなりすぎて、レイはまだなにが起こっているのか、理解が追い付かない。
レイオルと自分の無事を喜んでいいのかどうかさえ、いまいち実感がわかず、ただ戸惑っていた。
そして、いつの間にかレイオルが手にしている光る球。それがなにかわからないが、その球は自分にとってもなじみ深い、大切なもののようにレイには感じられていた。
それは、いったい――。
ぱくっ。
「あーっ! 食べた!?」
レイオルは、光る球を口に入れた。
「レイオル、そ、それ――」
「ああ。今のが、やつの魂から分離させた『魔』のエネルギーだ。魂そのものではないぞ。魂は、ちゃんと行くべきところに行く。これを食うことで、私は限りなく魔に近づいているのだ」
レイオルは、平然と言ってのけた。が、平然でもないようだった。レイオルの体の重心が定まらず、なんだかふらついている。
レイオル……?
「が。私も重傷だ。骨が折れたし、内臓に刺さった。魔法で元の位置に戻したが、修復には、ちょっと時間が――」
どう。
すべてを言い終える前に、レイオルは倒れた。
「レイオルーッ!」
分身ではなかった。
レイオルは、レイオルだけだった。
なんで、俺を助けたの……?
いつからかわからないが、雨は上がっていた。
レイは、小鬼の両親から教えられた薬草や栄養のある木の実を、見つけられるだけ見つけてきた。
考えられる治療をすべて、施してみた。といっても、止血と血で汚れた体を拭く、そして薬を塗る、それから小鬼のまじないくらいしかできることはなかった。
体を拭くにも薬草から薬の成分を取り出すにも水がいるので、近くに見つけた沢を何度も往復した。
「コオニギリ、チュウニギリ、オオニギリ、オオギリ、それからフツウのオニギリー」
小鬼のまじないとは、「オニギリ」の唄を歌いながら、舞い躍るという回復を願う魔法である。
小鬼おまじまい、人間に効くのかな――。
歌い終えるとすぐに、レイは怪物の死骸をきれいに片付け、清潔を保つようにして、それから旅人のように焚火をたいた。
あのとき俺が傷を負ったって、レイオルほどのひどい怪我にはならなかったのに。どうして俺をかばったりなんか――。
小鬼の体は人間に比べはるかに頑強だ。強いと言っても生身の人間、レイオルが身代わりになることなんてなかった、そう思い、レイは涙をこぼした。
焚火だけではなく、レイオルに寄り添い、レイオルの体をあたためてあげるようにした。
レイオルは死んだように眠り続けたが、決して死んではいなかった。
月が昇る。それから当たり前のように太陽が昇り、またそしてまた月の出番。
森が様々な光をまとって、何回目かの朝だった。
「オニギリ―」
「変な唄」
むくっと、レイオルが起き上がった。唄の感想付きで。
「レイオルッ……、大丈夫!? 大丈夫なの!?」
「ああ。レイ。お前の変な唄で、だいぶ回復が早まったようだ」
「よかった……!」
レイは、へなへなとその場に座り込む。
本当に、よかった……! レイオル……!
レイオルは、不思議そうな顔でレイを見つめていた。
「泣いてるのか」
「だって、だって、レイオルが――」
レイオルが、と言ったきり、胸がいっぱいで続く言葉が出てこない。
「今度は笑ってるのか」
「だって、だって――」
笑っているのだろうか。顔がくしゃくしゃだ。たぶん、笑っている。レイは、自分でも自分がどんな顔をしているのかわからないほど、熱く激しい感情の波にのまれていた。
そんなレイを見つめるレイオルの顔は、まだ青白く生気がないようだったが、笑みを浮かべる。
「レイ。色々忙しそうな顔をしているところ、申し訳ないが。ひとつ、命じてもよいか?」
「えっ、なに、なになに? なにかしてほしいの?」
レイはごしごしと頬や目の辺りをぬぐってから、レイオルに顔を近付ける。
「腹が減った」
レイは急いで集めておいた木の実などを、調理した。それは手際よく素早かった。
「人間ふうなもの、できないけど」
レイは申し訳なさそうに大きな木の実の殻を器にした、あたたかい手製野草と木の実のスープをレイオルの前に差し出す。
「構わない。人間はそのうち辞める」
湯気の向こうのレイオルは、大きな口を大きく吊り上げ、笑う。
レイも自分の分のスープを一口飲み、それからレイオルに思い切って訊いてみた。
「どうして――、あのとき分身を出さなかったの?」
「そんな暇なかった」
「どうして」
どうして。俺は、ひとりぼっちのはずじゃなかったの……?
素材の味だけ、素朴な味のスープが胸に広がる。幼いころ怪我をした自分に、母が作ってくれたものと同じ、静かに包み込むような夕暮れの味がした。今は、朝だけど。
「どうして、俺をかばってくれたの……? 俺が怪我しても、死んでも、レイオルには――」
レイオルは、うまい、ともまずい、とも言わず、時間をかけながらもスープを飲み干した。
そして、レイを見つめた。
「レイは、私じゃない。私が見つけた、私じゃないもの。私はずっと一人だ。分身を作れても、それは私だ。私じゃないものが目の前にいるのは、私にとって当り前じゃないことだ」
「え」
きょとん、とした。
レイにとって俺は、当り前じゃないこと……?
「そしてレイは、ひとりだけだ。世界に小鬼はたくさんいるだろうが、レイはひとりだけ。自分にとって当り前じゃないこと、選び取った奇跡を守ろうとするのは、当り前のことじゃないか?」
日の光が優しく踊る。きらきら、と。
「おかわりを頼む」
木の実の椀を掲げたレイオルは、水色の瞳を細めた。
◆小説家になろう様掲載作品◆
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