米農家戸邊秀治さんへの交渉
2021年8月9日
19時半過ぎに、緊張しながら戸邊秀治さんへ電話をかけた。
数回のコール。
「はい、戸邊です」
初めて聴く戸邊さんの声だ。
直感的に、外面やよそゆきの声を持たない人だな、という気がした。
「突然のお電話で申し訳ありません、柴と申します。誠さんからお話ししていただいたかと思うんですが、世界一希少なお酒をつくりたいと考えていまして、戸邊さんのお米をぜひ使わせていただきたくて、お願いのお電話を致しました」と目的を伝えてから、私が自分のこだわりや想いについて話し始めた、その途中で
「いいよ」
と戸邊さんは言った。
「本当にほかのどこにもないお米だから、自分のところのお米が、どんなお酒になるのか楽しみっていうか、興味があるし。小野酒造さんだっけ。いいお酒造ってるところみたいだし、いいよ」
その言葉を聴いて、喜びと安堵とが入り混じった感情が湧き上がってきた。
想像していたよりもあっさりとお許しいただけたことへの驚きもあった。
「…ありがとうございます!!」
感動で泣きそうになりながら、お礼を伝えた。
しかし、問題はここからだった。
「で、どのくらいの量必要なの?お米」と戸邊さん。
私は、ドキリとした。
ただでさえ収穫量の少ない貴重なお米の仕入れを、作付けの段階ならまだしも、収穫間近のこの時期になって突然お願いしているのだから…。
「…お酒の仕込みができる最低の量が、籾のついていない、白米の状態で300キロだそうです」
私は恐る恐る答えた。
「300キロ?!」
戸邊さんの声が大きくなった。
「…それはかなり厳しいねぇ。玄米の状態でも難しいくらい。うちのお米の収量知ってる?」
戸邊さんは静かな口調で言った。
私は、何も知ってなどいなかった。
改めて、思慮に欠ける自分を恥じた。
機械を使わず全て人力で、奥様と二人だけで、手間をかけて作っているお米なのだ。
事前にうかがった誠さんからのお話からしても、作付けが極端に少ないことは想像に難くない。
原料米300キロは、日本酒の仕込みとしては通常ありえない超少量だが、戸邊米の作付けから考えれば物凄い量なのだ。
やっぱり無理なのか…。
戸邊米が手に入らないのであれば、この日本酒の話自体がもう考えられない、ここで終わりだな、と覚悟した。
「お米やさんに出すのは3年前にやめて、今は家族と知り合いだけ。息子たちもみんな家庭持って食べる量も増えてるでしょ。今年の分は全部売り先も決まっちゃってるから。あとは、僕たちが食べる分をまわすしかないよね」と戸邊さんは言った。
大切なお米を、そこまでしてこのお酒造りのために融通してくださるというのだ。
誰よりも健康にこだわり、自らが一年間の労力をかけて作り出した安全で品質の高い戸邊米を、知り合いでもなんでもない私が突然持ち込んだこの日本酒企画のために。
本来戸邊さんご夫妻が食べるはずだったお米をいただくことに対する心苦しさは拭えなかったが、そこまでしてでも、この日本酒に協力しようと思ってくださっているお気持ちがありがたく、本当に嬉しくて、胸が震えた。
この日本酒づくりを進めていくことに対して、神様からの許可をいただけた気がした。