資本主義社会における労働について
私は、経済活動をしていない。
障害者年金と退職金、妻の収入等で生活している。
私の仕事、いや天命は、詩を書くこと、詩人である。
「いつ仕事始めるの?」なんて、
人の気持ちを考えないで、軽口を叩く輩も多い。
正直、内心、ムッとする。
確かに、私は収入を得ていない。
でも、さぼっているわけではない。
精神疾患、具体的には、統合失調症が酷すぎて、働けないのだ。
そのための障害者年金であり、公的支援だと思う。
それに、お金を稼ぐことだけが、仕事ではないと思う。
詩人は、社会に必要だと私は自負している。
ただし、芸術家は、生前評価されず、苦難のうちに、その生涯を終えることが多いが。
私は、生前評価を望んではいない。
生前に評価されたものなど、大抵、後世では雲散霧消するからだ。
印象派やファン・ゴッホと同時代のサロンの画家の名前を言える人は、専門家でもない限り、ほとんどいないだろう。
資本主義における労働は、「搾取」の一言に尽きる。
働いても働いても、資本家に「搾取」されるだけ。
だから、私には、勤労意欲はない。
社会と繋がりたいとも思わない。
詩は書くが、別に誰も読まなくてもよい。
誰も読まない詩。
自分だけの詩。
秘密の詩。
まさに、エミリー・ディキンスンの世界だ。
ヘルダーリンも塔に幽閉されて、詩を書いた。
優れた文学作品は、苦難から生まれる。
順風満帆な人生に、優れた詩は寄り添わない。
私は、詩人だ。ボヘミアンだ。ルンペンだ。
それでよい。だから、よい。
いつから労働は、美徳になったのだろう。
労働は、プロテスタントが生んだ資本主義の鬼子だ。
「働かざる者、食うべかず」
全く、理不尽極まりない。
働きたくとも働けない人がいるのに。
政府は、手を差し伸べようとしていない。
この国を洗濯いたしたく候。
詩人 たいいりょう