アマプラを見る理由。そして映画「Edie(邦題 イーディ 83歳 … )」から、気づかされたこと

あたしも、自分の人生に終わりについて考えることが多くなった。
ブログを書いているのも、終活ともとれる。
あたしは「人生棚卸し」と言っているんだけどね。
馬鹿なこと、シデカシたこと、無駄な買い物、失敗もある、右と左どちらを選ぶ、買うか買わないか。それはあたしに取っては家だろうね。マンションを3回買い、3回売った。つまり持ち家無し。売って買ってで4000万円ぐらい損したね。サラリーマンの生涯年収2億から3億。そのうちの20%前後か。
こりゃ貧乏なわけだわ。
これらは自分で選んでしたことだし、自己責任だよね。これらを、大きな気持ちで良い人生だったんじゃね、楽しかったねに結び付けたいと考えているのです。

あたしの楽しみは出張。それを主張旅と称している、早めにホテルに入りWOWOWを見てまったり、大浴場につかり、お部屋で早めにボッチ飯。
あたしの主張旅はホテルでボッチ飯がデフォです。お店には入りません。
お金もないし、このお店入って失敗したとなりたくないのもあるのよ。
そして翌朝の朝食ブッフェをものすごく楽しみに主張旅をしている。

WOWOWと大浴場、そして朝食ブッフェがお気に入りのホテル、全国主要都市にくまなくあり、マイルも2倍。そんなホテルを利用してきた。
でも、そのホテルを利用することを止めました。それは朝食の質が落ちたから。昔はボイルドエッグが必ずあり、おかずもそこそこだった。が今はおかずを取りにぐるっと回ってもお皿がうまらない。おかずは大袋を湯煎してどさっと大皿にもっているのがわかる。たこ焼きなんていらないんですけど。
昔はコロッケ、磯部揚げ、焼きそば、魚も二種類はあった。煮物もあった。
この間なんて、ミネストローネが煮物の代わりだと思うけど、味はインスタントみたいで美味しくない。あとはタコ焼き、小さな業務用の切干と業務用の焼き魚に同じく業務用玉子焼き。それに納豆、おきまりのレタスぐらいかな。そうそう毎回揚げた餅じゃががあるわ。
そんなんでWOWOWを見られることはなくなった。

それじゃ家ではってなるんだけど、一番ゆっくり食事ができる日曜の夜。
それが某公共放送の6時から「世界の今」を楽しみにしていたのだけれど、お子様の時間だから放送内容を変えようとの指令がでたのか「ぎょぎょのさかなクン」に変更され見たい番組が無くなった。そこでWOWOWとなれば良いのだけれどアマプラにした。それは選べる数が違うから。

最近の日曜日の夕飯タイムはアマプラを見るようななった。そこで偶然見たのがこの映画「Edie」。あたしはすぐに早送りをしちゃうほうだけど、これは気が付いたらはまっていた。それぐらい引き込まれた。

きれいな音楽を背景に、たんたんと映像は流れる。
主人公のイーディは老人ホームに入ることになる。
(多くの海外映画を見ているが、年を取ると皆入るようだ)
これは、日本との社会構造の差だが、制度と慣習を調べて見たい。

老人ホームに入ることになった、主人公のイーディは
自身の人生に不幸を感じていた。
唯一の良い思い出はやんちゃな子供時代だけだ。
(そう、この良い思い出と言うのが良いわよね、あたしとダブるわ)
晩年に父とスコットランドの山に登る約束を思い出し、旅立つ。

多くの老人にみられるように、イーディも頑固で固くなで、意固地だ。
(頑固も固いも意固地も同じ意味だね)
徐々に旅で出くわした若者と心を通わしていくイーディだが想いはどのような形で成し遂げるのかがハイライトとなる。

舞台のスコットランド、無味乾燥の言葉が合うこの地は美しくもなく、
心のときめきは少ない場所と思えるが、心が解き放たれたイーディは
きれいだわと言って感動する。
それはイーディの半生が悲惨だったことを表している。

イーディが、父との約束を思い出したのはカフェでのひと時だ。
気の置けないカフェでいつものものを食べていると、イーディの質問
に対して、店主は「never too late」と答える。
遅くはないという意味だろう。

あたしは、この言葉が気になった。
いくつになっても、何かを始めるのに「遅い」は無いんじゃないか、と。

あたしがかんがえる終活とは
「 終活 = 身辺整理 」だが、改めようと思っている。
終活とは、 やり遺したことをやることだ。

誰も頼らず、誰にも相談できず、ただ耐える生活をしてきたイーディ。
最後に見えた景色で目的を達したと思う。

そしてあたしの終活、遣り残したことは、「反省」だと気づいた。
クリスマスキャロルでは、強欲のまま終わる人生を反省する場面があった。
やったことは、やりかえされる。自分の考え、気の持ち方を変えれば、
違う色が見えてくる。
わたしが、反省しなけれならないことはたくさんある。両手でも足りない。

無駄使いで資産形成も出来なかった。無駄なものを買い、直ぐに売る。
車なんて、300万で買った翌日に、150万で売った。いろいろ買った趣味の品々は、持っている自分が嫌になり、人にあげてしまう。高値で買った洋服も捨てるか、今はいかない家のタンスの中で樟脳まみれ。

いつもいらいらして、直ぐに怒り、人にあたる。
食事にいけば、お店の文句ばかり言っていた。
さぞ一緒にいた友人たちは嫌な気持ちだったろう。この場でお詫びしたい。
ごめんなさい。さらに、旅先でちょっとしたことが気に入らず、勝手に帰ってしまう。と思えばもう一度引き返し、引き返す途中でスピード違反で捕まったこともある。反省しなければいけないことはいくつでも出てくる。

せめても、せめて良かったことは、もう70になろうとしている今でも職があることだ。やり残したことより反省と後悔ばかりが思い出される。
どうやらイーディにはなれそうもない。

あたしの今の望みは、いつまでも働いて、少しでも妻にお金を残したい。
そして働いていて、気づいたら死んでいた。というふに人生を終わりたい。
死んだら気づけないけどね、比喩ね。
自分が死ぬときには妻に「ごめんなさい」を言って死にたいと思う。


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