石田三成の長短所を調べていたら、三成の「三」が気になってしまった。
今、これまで溜めてきた記事やメモ、PC内を整理中。こんな画面が出てきた。おそらく、古いスマホで撮影した記事をそのままにしていた。
そのスマホ画面をさらにスマホで撮影して保存していた。
記事は石田三成だ。関ケ原の敗因の責任は三成の短所にあると書かれている。三成の性格、関ケ原の戦いについては多くの記述があるのでそちらにまかせる。三成はどうしても光成と変換してしまうが、ふと考えたなぜ「三」のみつなのだろうかと。普通は光のみつを選ぶような気がするが。なぜか気になった。
三成さんは幼名を佐吉 → 三也 → 三成 となっていくのが一般的な記述。
ところが、幼名は三也、通称佐吉とある記述もある。
(この記述は,、おそらくまちがいだろう。)
ほしたら、初名が三也,通称佐(左)吉という記述もある。
初名と幼名はどう違うの? これはわからないままです。
ある記載には「幼名佐吉、ついで三也と称した」と書かれている。
三成となったのは25歳のとき。治部少輔任官を期に三成としたようだ。
わたしは、「三」からもしかしたら三成は三男なのか、だから三也、
つまり三成は三だ(さんだ)、三番目の子だと意味か。
と思ったら三成は次男として生まれたとある。姉がいたという記録もない。
ただ、けっこうわからないこともありますよね。
どうもわたしは、「三」にこだわっています。
兄がいたが、兄の正澄は豊臣秀吉に仕え官僚タイプだったらしい。
三成が関ケ原出兵のときは佐和山城を守っていたそうです。
そして三成敗北、家康軍が攻めてきて、良く戦いましたが父と共に自害。
もう少し調べてついに出ました。
兄の正澄は次男として生まれたとあります。
このお兄さん「正澄」の別名は重成といい、石田家の次男につける名前。
兄がいたから次男のつける名前を持つ兄となります。
ということは三成はやはり三男ですね。
長兄であるとされる「弥治郎」については良くわかっていないようです。
名前に付け方もいろいろ調べました。
幼名があり、15歳元服のときの名が初名となるようですね。
その後改名と行くのでしょうね。
初名「三也」は確かなようなので、それを成し遂げるの「成」に変えたのはなんとなくわかります。つまり三つのことを成し遂げるの成る。
と、取れますよね。
・漢字の也は断定を意味する「~だ」です。
・成は文字通り「成し遂げる」。ですね。
だんだんわかってきました。
子供の名前ですが、下になるほど、いい加減というか、考えるのに疲れたいうか、ありきたりになり、つけ易い名前にするということはあると思います。特にこの傾向は三人とも男だったり、三姉妹の三番目の子(娘)なんて、上二人の姉がくじをひいたなんて話は知人の実話です。
三番目に生まれた三成は、お前は三番目、三だ、つまり三也、となったのではないでしょうか。
へんなところから、歴史をひもとく話になってしまいました。
ほんとうは石田三成の短所、関ケ原の敗北から見える人間性。
それを仕事におきかえたらどうなるのか。
三成の長所が短所につながったとわたしは見ています。
もっと調べて見ます。