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生きてるだけじゃ価値なんてないじゃんと思っていた私が気づいたこと
あなたは生きているだけで価値がある。
そういうことを言う人もいる。
でも実際問題、生きてるだけじゃダメでしょう?
なにもせずダラダラして、ご飯だけ食べててもダメでしょう。
せめて何かの役に立たないと生きてる意味がないでしょう。
大きな声では言わなかったけど、私はそう思ってきたんだと思う。
だから「せめて」自分の仕事はちゃんしよう。
「せめて」自分の面倒は自分で見るようにしよう。
「せめて」迷惑になるような存在にはなるまい。
そう心がけていたんだと思う。
でもね。
病気になって、
仕事もできなくて、お金も稼げなくて、
薬の副作用で具合が悪くて、
ただ寝ていることしかできなくなったときに思った。
「今の私にはなーーーーんにもないよなぁ、マジでなにもできないなぁ」
全部が焼けて、まる焦げになってしまった畑のような気持ちになった。
私はかつてそこにいろいろな種を植えて、苗を育て、収穫だってしてきたのに。
今はもう全部焼けてしまった。なんにもない。
隣の友人たちや仕事仲間の畑は青々として、実がたくさんなっているのも見える。
私とは違うなぁ。
そうは思ったけど、特に感情的になることもなかった。
ただ、静かに焼けてしまった畑をじーっと見つめて「ほんと、なにもないなぁ」と思っていた。
その時に思ったのだ。
「これが・・・無価値ってことなのかなぁ?」
なにも植わっていない。収穫出来ない。だから誰にも何もあげられない。
でもその時はっきり思った。
「いや違う、これは無価値ってこととは違う!!!」
確かになにもそこにはないけど、
私には畑があるじゃーーーーーーーん!!!!!!!!
ずっと耕してきた。ずっと苗を植えてきた。時には花だって咲いたし、実だってつけた。でも失敗したこともあった、私の畑。
そのすべてはこの畑にちゃんとあるんだ。
なにがあっても消えたりはしない。
できれば、ちゃんとすべてをキープしながらかっこよく発展させていきたかったけどね。
ここで、私は一度畑をダイナミックに焼くことを選んだってことだ。
私にはなにもないなんて嘘だ。
私には価値がないなんて嘘だ。
私の価値はちゃんとすべてここにある。
「だって実際問題、畑があったってなにもできてないじゃん」
と誰かが言うかもしれない。
キミ、焼けちゃった畑のパワフルさを知らないね?!!
究極の土がその焼け野原の下では育っているのだよ、ふっふっふ。
その芳醇な土で私はこれから今まで誰も見たこともないものを育てるのさ。
それはなにかをキープしながらじゃできない、びっくりするようなものなんだよ。