想像していなかった未来〜2003年素人バーテンダーが始めた店の2024年現在。
二十歳の時、音大在学中にBARをやるという夢を抱いた。
理由は、
仕事をしながらでも自分の店ならピアノを弾き続けていけると思ったから。
現実はうまくいかず・・・しかしながら、それを言葉にし続けることで、運良く当時のオーナーから拾ってもらい、店を開かせてもらった。
素人がいきなり店を開くというのは思いのほか厳しく、酒の知識もなく、グラスやバーツール、制服に至るまで全てのことがわからない、どこで買えばいいかさえもわからず、教えてくれる人のコネクションもない。そんな中でお客もこない、誰にも相手にされないような日々が続いた。3ヶ月後にはもう潰れるか否かというところまで来ていた。
それでも若さ、素人ゆえの勢いでひたすら手探りでやっていき、毎日チラシを配って回り、少しずつお客がついてきた。
そうやって2年が経ちオーナーから独立した。
しかし、このままそううまくいくものでもなかった。
地震などの災害に見舞われたり、コロナショックなどがあったり、正直、よく今でもやっているなぁと思う。
そして、ただただ思う。
運があったのだ。
大変ではあったが、その時その時にやりたいことに興味を持ち、口にし続けたことで、いろんな縁が生まれたりして、いろんなことを実現することができた。素人で始めた何もない店が段々本当の店(BAR)のようになっていく。それが何より面白かった。その連続にして21年経った現在もまだ存続しているし、これからもやりたいことや改善しなければいけない課題が山ほどある。
若い時、腕がなかったゆえに、箔をつけるためにがむしゃらに並べていった酒のボトル。しかし、何を仕入れていいかわからなかったので、お客様が「あれ飲んでみたいなぁ」
と言う銘柄を言われるたびに仕入れていった。たまたまその中でスコッチシングルモルトウィスキーが多かったのがきっかけで、それを中心に買い足していった。
気づけばシングルモルトウイスキーのコレクターのようになり、いろんな人が興味を持ってくれるようになった。まるで酒の素人ではあったのだが、そうやって少しずつ仕入れていく中で知っていった。
とは言え、ただボトルの数が多いだけではハリボテに過ぎない、カクテル創作のアイディアなどが湧くほど器用なタイプではなかったが、スタンダードカクテルに始まり、氷の技術など基礎中の基礎であるものを昇華させていくことで、自分にしかない技術や観点、視点というものを身に付けることもできた。
技術の向上もあり、現在では地域に根付くこともでき、当店のことを
「やっぱり、ここが1番だね。」
と、お褒めに預かることもある。他の腕のあるバーテンダーの方には恐縮で忍びないところもあるが、自分にしかないやり方が褒められた事は非常に嬉しかった。
そんな中、あれから21年、この9月の出来事だった。アーティストの福山雅治さんに
『地面師たち(Netflixドラマ)並みのウイスキーです。他にもいいウイスキー絶対ありますよ。バーテンダーししょーさんのお店ねえ、絶対いいお店ですよぉ。』
とラジオで紹介されたのは本当に嬉しかった。
いわゆる"昔とった杵柄"ではあるが、ウイスキーの愛好家である福山雅治さんが褒めてくれた事は本当に嬉しかった。何より店を始めた頃の孤独とも言える中、彼の歌やラジオを聴いてファンになり、励まされ続けて今があるとも言える。ファンとして、バーテンダーとして、非常に嬉しくも、光栄な出来事であった。
全国ネットで紹介してもらった以上、これから訪ねてくる人たちのハードルも上がるだろうが、福山雅治さんの言葉が嘘にならないような店を創り、仕事を続けていきたいと思うし、いつか縁が繋がり、彼が訪ねてきてくれた時、自分のやってきた仕事を見てもらいたい。そして私のピアノ伴奏で一緒にSquallを演奏できたらと思っている。
素人が夢見ただけで店を始めたときはあまりの辛さに何も未来が見えず、暗闇の中を手探りで走り続けるようにがむしゃらにやってきたが、21年経った現在では、Only Oneの店として地元で親しまれる店になった。
店を始めた頃の何も見えない状態とは違い、現在ではやり続けていく中でいろんな目標が生まれてきた。
まずは生涯現役を目指して日々精進し邁進し続けること。
そして、noteで文章を書く楽しさから、
"文筆家を目指す"
という夢も生まれてきた。
こうしていろんなことに挑戦していく楽しさをこれからも生涯を通して感じ、人に伝えていきたい。
2024年44歳の今、始めたときの2003年23歳の時の自分には想像もしなかった未来であったが、バーテンダーとして、経営者としての未熟さを常に感じながらも諦めず続けてきたことにより、今という未来が広がり、夢を追い続けられるようになった事は本当に幸せなことだと思う。
これからは文筆家としても、この仕事の魅力などを伝えて行けたら、読んでくれた誰かのために何かしてあげられるのではないかと思う。
最後に余談だが、奇しくも福山雅治さんの朱鷺メッセでのライブの1曲目は、21年前に開業した時、あまりにうまくいかず、失意の中にいた自分を励ましたドラマの主題歌で『虹』であった。
福山雅治さんのラジオでの放送は、何か自分の人生が大きく動く気がした。彼が与えてくれた希望の虹の橋がいつかお会いできる日につながっていることを信じて歩き続けている。