クリスマスのご馳走といえば
クリスマスのご馳走といえば。
小さい頃、我が家の定番は「ローストチキン」だった。
持つところに、父がアルミホイルを巻いてくれて、そこを鷲掴みして、ばくりとかじる。
上手に食べないと、すぐ口がベタベタになるけど、それでもあの大きな皮をびろんと剥がして、お行儀悪くむさぼり食うのが好きだった。
肉を焼くのは父の仕事だ。
我が家では、肉を焼くのは父が上手なんだと昔から決まっており、母は付け合わせのサラダなんかを作る担当だった。
スープはどちらもよく作ってくれた。
母は野菜でもなんでもわんさか入れるのに対し、父はシンプルなスープが多かった。
今なら、少しでも野菜を摂らせたいという母のわんさかスープの意図も理解できるが。
当時の私は、父の作るレタスとベーコンのスープとか、大根の醤油ベーススープとかが、とても好きだった。
クリスマスにも、チキンとサラダとスープが並ぶことが多かった気がする。
あと、もう一つ。
クリスマスの飲み物といえば、我が家は「シャンメリー」。
毎年、スーパーでおしゃれなパッケージのシャンメリーを買ってきて、弟や妹とそれを飲んだ。
その日は、いつもは出さないとっておきのグラスがテーブルに並ぶ。
そこに、シュワシュワの透明な液体を継ぐと、まるでお酒!
なんだか、大人みたい!
それを、くいっと大人っぽく飲むのが幼い頃の私流オトナの飲み方。
まさに、すっかり色気づいちゃってという状態だったが、大人へ強い憧れがあった頃の私は、このシャンメリーも大好きだった。
クリスマスケーキも、毎年食べた。
これは色々で、特別なアイスケーキを注文してもらったこともあるし、スポンジケーキの土台に自分たちで苺やチョコをトッピングして作ったこともある。
そういえば、ケーキ屋さんで買った時、ケーキの上に乗っている甘い砂糖菓子を誰が食べるかで揉めた記憶がある。
じゃんけんで、サンタの砂糖菓子を勝ち取ったものの、食べてみるとガリっと嫌な食感がして、舐めてもあんまり美味しくなかった。
人工っぽい、つるつるした表面を舐めながら、「あぁ、ホワイトチョコのプレートの方にすればよかった」と後悔したような。
そんなクリスマスのご馳走も、私が高校生くらいになると、なんとなく家族みんな忙しくなって、あまり一緒に祝わなくなった。
私が受験や塾に忙しくて、記憶がないだけなのか。
はたまた、受験でピリピリする私に気を遣ってくれていたのか、わからない。
何にせよ、クリスマスのご馳走を無邪気に喜んだのは、せいぜい中学生前くらいの頃までだったかもしれない。
大学生になると、レストランや居酒屋でワイワイと大人数のクリスマス会をすることもあれば、持ち寄りパーティーで宅飲みしたこともあった。
持ち寄りパーティーは、正直苦手だった。
みんなの持ち寄る食べ物を頂くのは好きだったが、自分が何を作って持参すればいいのかサッパリだった。
料理は苦手だし、お金もないし。
今のようにInstagramなんかなくて、せいぜいネットで出てくるクリスマスレシピを見て、作れそうなものを探すくらい。
今思えば、さっと買っていけばよかったのだが、「手作りの持ち寄り」という制限を自分で勝手にかけていて、当日まで悶々と悩んだことがある。
社会人になってからは、そういう煩わしいパーティーはなくなり、夫とのんびり過ごすくらいでちょうどよかった。
近所のお肉屋さんで、ちょっとおいしいローストビーフを買ってきて、それぞれ好きな飲み物とおやつを用意して食べる。
それだけ。
それだけで、十分満足だった。
そして今、私は親になり、クリスマスのご馳走を用意する側だ。
昨年までは、長男も大してご飯を食べなかったし、クリスマスへの意識も低かったが、今年からはそろそろクリスマスのご馳走も考えなくては。
大袈裟なことはできない。
でも、ちょっとくらいは、クリスマス気分を味わえるスペシャルなご飯をみんなで囲んで、ワイワイしたいなあ、なんて考えている。
一緒に作るのも楽しそうだ。
よそのお家は、どんなご馳走を食べるのかしら。
クリスマスの夜、それぞれのお家に美味しいご馳走が並ぶのを想像すると、ワクワクする。
もちろん、ご馳走どころじゃないお家もあるだろうけど。
野菜も高いしね。
それでも、クリスマスの豪華な食卓を思い浮かべると、24日の夜が待ち遠しい。
今日の記事を飾ってくださったのは、「杉江慎介」さん。
優しい色味の一色背景の真ん中に、ぽんと置かれたかわいいイラスト。
かーわーいーい。
ほよんとした「ゆるさ」もあるし、絵の「優しい」感じも癒される。
種類も多いので、よく使わせていただいている。
並ぶ絵を、眺めるだけでおもしろい。