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運動会のキオク。


「運動会のことって、覚えてる?」


夫にそうたずねても、「全然」という答え。
予想どおり。
夫は、幼少期の記憶がほとんとない。


対してわたしは、保育園から小学校、中学や高校の運動会(体育祭)のことを、けっこう鮮明に覚えている。

何を思って、誰と走って、どこでお弁当を食べたのか。
もちろん、所々混ざったり、曖昧だったりするけれど。

「運動会」という記憶は、わたしの心の中に清々しく刻まれている。

わたしは、「運動会」が好きだった。







保育園では、聖火ランナーが思い出深い。

毎年、数少ない「2歳入園」のメンバーが、聖火ランナーをすることになっており、そのひとりだったわたしは、厳かな音楽のもと、真面目な顔して、園庭を走った。
赤いビニルが飛び出た、手作りの聖火を高らかに掲げて。


保育園の運動会は、やっぱり年長になるほど鮮明に残っている。
体操の振り付けも、いまだに覚えている。
閉会式で配られた金のメダルも懐かしい。

体操も、ダンスも、かけっこも、親たちは全力で応援してくれたし、転けても失敗しても、ニコニコとビデオをまわしてくれた。

かわいい我が子の晴れ舞台」。
その熱い思いが、あっちからもこっちからも溢れんばかりに湧き出ていた。
あったかい、「運動会」だった。




小学校に入ると、人数が一気に増えた。
選ばれなければ、リレーに出られなかったし、親は我が子がどこで踊っているのか探すのに必死だ。

わたしは、運動できる部類でもないのに、なぜかダンスが好きだった。

いちばん好きだったのは、2年生のとき。
当時流行っていた番組「ポンキッキーズ」の挿入歌「LET'S GO いいことあるさ」に合わせて、みんなで大型バルーンを膨らませて踊った。

バルーンの中に入ったり、空高く投げたり。
手にはカラフルな色違いのポンポンをつけて、4つの大型バルーンはくるくると運動場を回った。



それから、鼓笛隊。
5年生になると、鼓笛隊を組んで、行進するのが恒例だった。

わたしは、「マーチングキーボード」という楽器を担当し、肩から白い鍵盤を背負って歩いた。
本番まで、自分の楽器がいちばんかっこいいと思っていたけど、みんなで並んで歩いたら、先頭の指揮のバトンの子や、小太鼓の軽やかな腕捌きの方がイカしてる感じがして、ちょっと悔しかった。




中学や高校のことも、覚えている。
でも、それらは保育園や小学校のころに抱いた、純粋な気持ちとは、少し違う。

それは、思春期らしく複雑で、青春で、ここでまとめて語るには、時間も字数も少し足りない。

でも好きだった。
やっぱり「体育祭」も、好きだった。






そんな、わたしの「運動会」のキオクがよみがえってきたのは、長男の運動会が迫ってきているからだった。

毎日、園では運動会の練習。
帰宅後も、踊りの一部を見せてくれる。

彼もまた、運動が得意な方ではないだろう。
でも、友達と並んで歩くこと、先生を真似して踊ること、走るのが速いと思い込んでいること。
どれもこれも、楽しそうに語る。
そのすがたが、とても眩しい。



長男。
全力で、応援するよ。
どんなすがたも、見届けるよ。
いっぱい拍手して、ビデオ撮るよ。

だから、楽しんで。
思いっきり、楽しんで。


君にとって、「運動会」のキオクが、これからもずっとあたたかく、キラキラと眩しくありますように。

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