至らぬ母で行くしかない
今週に入って、仕事がバタついている。
自分の勘違いや見落としも重なって、週明けから少々滅入っていた。
業務量が多いだけならまだマシだが、自分の失敗が重なると疲労感が数倍に膨れあがる。適度な反省、自分を責めない、と自分に言い聞かせても、
未だにうまく処理ができないまま随分な年齢になてしまった。
それでも濁流に飲まれるように、仕事、家事、育児と待ち受けるタスクが押し寄せる。一度帰宅して、長女を家に置いてから、今度は保育園に次女を迎えにいく。
やっとの思いで連れて帰ってきたら、長女が玄関で仁王立ちをしていて、ドアを開けるなり、次女を怒鳴り散らした。
どうやら久しぶりに手に取った双眼鏡が壊れていて、それは直近遊んでいた次女が壊したのではないかと言う。大きな声で罵倒するし、手も足も出る。
プロレスの寝技みたいにして、必死で長女を組み伏せた。
確かに次女は勝手に持ち出して遊んでいたが、その双眼鏡は元々100円で買った簡単なもので、随分前から壊れていた。次女の仕業ではない。
長女にその説明もしたがまるで効果はなかった。(だよね。)
クタクタな夜にひと騒動。
その時は「勘弁してよ」と思ったが、少し時間が経ってみて、
私がもっとニコニコしてたら、長女は怒ったりしなかったのでは、と
思い至った。
仕事を退勤したら、パシッと頭を切り替えて、温かな母の面持ちで子供たちを迎えに行き、よく話を聞いて、子供にたっぷりの愛情を注ぐ。大事なのはわかっている。だけど自分の状態、状況が良くない日はそうもいかない。
今日も長女をお迎えに行って一緒に家まで帰る間、いつもはもっとにこやかに会話するはずが、手を繋ぐことが精一杯で、頭の中は仕事の後悔と明日への段取りばかり。暗い表情で口数が少なく、娘に話しかけられても上の空だったと思う。そいうえば、娘はその間はとても明るく飛び跳ねるように歩いていた。それはもしかしたら、彼女なりの気遣い?危機感?
ろくに声がけもしないで、そそくさと私は次女の保育園に行き、長女はいつもの留守番。
もしかしたらその時、長女は頑張りの糸が切れ、寂しさも押し寄せた。
そんな時ふと目に留まったボロボロの双眼鏡にカチン。。八つ当たりの標的は次女へ、というところかな。
贔屓目の母の分析ではあるが。
長女がもっと小さい時にも、
仕事で打ちひしがれて「今日、ママあまり笑えない」と何度か言った記憶がある。
日が落ちた後の保育園からの帰り道、お風呂上がりの小さい娘の姿。
当時の景色と一緒に自分の強張った声も覚えている。
母となったらすごく強くなった気がしたが、弱い所も多分に残っていた。
喜怒哀楽があるのが日常。それで人間。
自分も同じだったように、いつも完璧な親には育ててもらえない。
母親ならもっと頑張れと言われるかもしれないが、今の私には精一杯やっても
やり切れない時がたくさんある。
それでも少しずつ、苦しい顔をする日が減るようにこれからもトライしていこう。
自分のためにも、家族のためにも。
今日はごめんね。ママはまた元気になるから。これからもよろしくね。