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東京旅行日記(二日目/二〇二四年五月二十三日)その4

予定より少し時間が過ぎたあたりで「ブルーボトルカフェ」を出る。

国立新美術館に向かって歩いていると、道端にエレキギターとアコースティックギターが落ちていた。
路上ライブの準備かと思うくらいきれいな状態ではあるが、近くにはペットボトルがたくさん詰まった袋、キックボード、金属の柵のようなものもある。
つまり、ゴミ捨て場のゴミだ。

一式捨ててあるので、何らかの事情で音楽をあきらめた人なのだろう。
東京で夢を破れてしまった人の残り香。
自分が選ばなかった未来。
自分自身の人生と重ねると、これも立派な現代アートである。

国立新美術館の中に入る。朝10時過ぎ。
お客さんはそれなりに入っているが、長時間並んだり、入れないということはなさそうだ。

しかし、内股が痛い。内股がこすれてヒリヒリする。
この旅行で一番頭を悩ませたのはこの股ズレによる痛み。
あとから考えるとワセリンを塗るなり工夫するべきだった。
もう少しジョギングをしていれば当然思いつく対策だった。悔やまれる。

なので、入館して腰が沈み込むタイプの椅子で一休み。
この椅子ほしいけど、ものすごく高そう。
ロッカーを探すついでに斬新な建築も楽しまねばと建物内をヨタヨタ歩く。

建物内に円錐を逆さにして床にぶっ刺したような構造物が大小ふたつあって、その上の面がカフェやレストランになっている。斬新。
そこで食事してみたい衝動にかられるが、中で食事をするよりも外から見ているほうが楽しい気がする。料金もそれなりに高い。

ついにマティス展に入場。

マティスは好きだが、美術全般そんなに詳しいわけではない。
AERAの完全ガイドブックなど、各種の書籍を読んだり、山田五郎さんの動画サイトを見たり、思いつく限りの事前準備をして本番に臨んだ。

専門的なことはそのあたりに任せるが、ものすごく雑に説明すると、ピカソがライバル視していたくらいの優れた画家だ。

自分が大学に入ったころ、いろんな知識を吸収したくて、専門外の美術に関する本も色々読んではいた(結果、ほとんど覚えていない)。
何か推しの画家がいたらいいなと色々見続けて、ピンと来たのがマティスとモンドリアン。
どうでもいいけどモンドリアンって名前と作風があっていないような気がする。

何が好きなのかと言われると、うまく言葉にできない。
このマティス展を通してうまく言語化できるようになれば、周囲の人からアートを解した知識人に見られるかもしれない。
それこそ、山田五郎さんのように。

そんなあさましい気持ちが全くないと言えば嘘になるが、結論から言うとちゃんと作品を楽しむことができた。

マティスの晩年の作品が中心ではあるが、ごく初期の若手時代の作品から始まり、彼の目まぐるしく変化していく作風の遍歴を観ることもできる。

加えて、絵画だけではなく、立体作品、舞台美術、建築など、ジャンルの横断の仕方もダイナミックだ。
同じモチーフを何度も形を変えて表現しているという五郎さんの指摘はいい補助線になった。

ずらっと並べられた作品を見ていると、一人の猛烈な熱量を内包した芸術家の一生に並走できたように感じた。錯覚。

マティスが舞台美術を担当した舞台表現(バレエかな?)の映像があった。自分の目の前にいた母子が床に座り込んでいる。
映像は全部で30分くらいあったはずなので、まあまあ長い。
座りこんでしまうのも致し方ないかなと思っていたら、警備員の人がやってきた。
美術館内、床に座り込むような雰囲気の場所じゃないし、会場は結構混雑しているので、注意しに来たのかなと思った。
その警備員は第一声「大丈夫ですか。あちらに休むところありますよ」という感じで話しかけていた。物腰がやわらかい。

注意は注意なんだろうけど、相手にはもちろん周囲に対しても雰囲気を壊さないよう最大限に配慮した言い方。
国内有数の美術館ともなると警備員さんの物腰も上品になるんだと妙に納得した。
母子は意図を察してその場を離れ次の展示部屋へ歩いていった。

本展覧会の目玉作品は二つ。
「花と果実」という壁画、そして「ヴァンス礼拝堂の再現展示」だ。

「花と果実」は絵としては単純。ともすれば、単調という感じ。
正直、本作を見ても全然ピンとこないのではないかと不安だった。

実際見てみると、壁画の性質上、それ単体で見るというより、行きかう人々とセットで見たほうが心地良いような気がした。
美術館のお客さんはマナーが良いので、壁画とはいえ、あんまり前を横切ってくれないし、長時間作品の前にとどまっていることはない。
ただ、本作品に関してはそれが必要な感じがした。
なので、あんまりわざとらしく見えない範囲で、壁画の前を往復してみた。
同じように感じた人がいれば、自分もろとも写真を撮ってくれただろう(本作は撮影OK)。

自分も壁画と通行人がいい配置になるまで待って写真を撮る。

礼拝堂のほうは、時間帯によって差し込む太陽光まで計算された緻密な作り。
今回の展示では照明を使ってうまくそれを再現していた。
ただ、人が多く落ち着いて鑑賞する感じではなかった。

そんな具合でマティス展は終了。好みの絵ハガキを購入したり、地下のミュージアムショップなどを冷かして、国立新美術館を後にする。

マティスは野獣派と呼ばれることがある。
本人は嫌がっていたそうだし、今の感覚でマティスの絵が野獣だと言われても正直ピンと来ない。

じゃあ、どんなアートなら野獣っぽいのかというところで、次の目的地に向かう。

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