
苦労人な音楽家「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」
ベートーヴェンってどんな人?

交響曲の完成度がやばすぎる。肖像画通りの情熱あふれる性格。持病の難病が悪化しても、作曲を続けたことが有名。実は自殺も考えていた。
有名な曲:『エリーゼのために』『ピアノ協奏曲第5番ー皇帝』
『交響曲第5番ー運命』『ピアノソナタ第14番ー月光』他多数
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ベートーヴェンの苦労エピソード
偉大な祖父と無茶苦茶な父
ベートーヴェンは音楽家の家に生まれた。
祖父は宮廷楽長、父は宮廷のテノール歌手だった。
祖父は偉大な音楽家で人望もあった。
ベートーヴェンも部屋に肖像画を飾るくらい祖父を尊敬していた。
一方で、父は酒癖が悪く浪費家だった。
祖父が残した多大な遺産は、父が10年もたたずにほぼ使い果たした。
また、父はベートーヴェンに対してスパルタ教育を行った。
酔っ払って帰ってきて、寝ていたベートーヴェンを叩き起こし、一晩中ピアノを弾かせたという話もある。
この教育のせいで、一時期ベートーヴェンは音楽自体を嫌悪していた。
他にも、モーツァルトのような神童として息子を売り込もうと考え、ベートーヴェンの年齢を2歳ほどサバを読んで紹介した。ベートーヴェンがこの事実を知ったのはもっと後のことで、本人も衝撃を受けた。
アルコール依存症の父に代わって家族を支える
ベートーヴェンが幼いころから割と無茶苦茶な父だったが、母が亡くなってからはもっと酷くなった。
頼りない父の代わりに、まだまだ大人とは言えないベートーヴェンが二人いる弟の世話や、家計のやりくりに苦心した。
ちなみに、父の浪費に困り果てたベートーヴェンが、雇い主に「父に渡す給料の半分を自分に渡して欲しい」と嘆願したという逸話があるらしい。
難聴が悪化。ハイリゲンシュタットの遺書
20代後半になると、ベートーヴェンは持病の難聴が悪化し悩まされるようになった。音を聞き取る耳の不調は、音楽家にとってあまりにも都合が悪かった。
ベートーヴェンは次第に社交界から身を引くようになった。
彼は自身に起きたこの絶望的な状況を、できるだけ隠したかったのだ。
その理由の一つは音楽家同士のしがらみのためだ。ベートーヴェンは自分と敵対する音楽家たちに最大級の弱みを握られるわけにはいかなかった。
もう一つは生活費のためだ。当時、ベートーヴェンは貴族からの支援を受けていた。パトロンとの良好な関係を続けるために、信頼を失うわけにはいかなかった。
その結果、ベートーヴェンは次第に思いつめるようになった。一時は自殺すら考えた。
しかし、ベートーヴェンの内に眠る情熱が彼自身を生かしたのだ。
その頃の葛藤や決意は、弟カールに当てた手紙に記されている。
この手紙は『ハイリゲンシュタットの遺書』として知られている。
<ハイリゲンシュタットの遺書について解説されている記事>
<感想>
ベートーヴェンは幼いころからお金に悩まされ、モーツァルトが若くして亡くなってからは更に敏感になったという。そんなベートーヴェンがハイリゲンシュタットの遺書の中で、「人生はお金じゃない」と語っているのだ。死を乗り越えたことで彼の哲学が完成されたのだと思うと興味深い。
「私の中にあるものは、私の中から生まれ出でなければならない」
この言葉は私の胸に深く刺さり、ひどく共感を覚えた。私も小説家になって、頭の内にある作品をできるだけ世に出してみたいと思う。
次回は、ロマン派時代について解説したいと思う。それではまた。
