音楽家紹介「フランツ・ヨーゼフ・ハイドン」
ハイドンってどんな人?
ハイドンは古典派時代を代表する音楽家の一人。生涯で交響曲を100曲以上も作曲した。だから、『交響曲の父』と呼ばれている。イタズラ好き。ユニークな発想で人を驚かせた。また、几帳面なところがあり、家に誰かが訪ねてくると、身だしなみを整えるまで誰にも会おうとしなかった。
有名な曲:『神よ、皇帝フランツを守りたまえ』
『交響曲第45番ー告別』『交響曲第94番ー驚愕』
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ハイドンのユーモアが光るエピソード
交響曲第45番『告別』
30年間ハイドンが仕えていたエステルハージ家の侯爵様は、夏になると必ず別荘で過ごした。
その年も、別荘を訪れていた侯爵様は気分もノリノリになった。そして、こんな言葉を口にしたのだ。
「別荘での滞在を2カ月延長するゾイ!」
だがその決定が、部下たちには重くのしかかったのだ。
「冗談じゃない!俺たちは早く帰りたいんだ!」
部下の誰もがそう心の中で叫んでいた。
しかし、流石に主人である侯爵様に直接抗議できるものはいなかった。
実は、この2カ月の延長は部下たちにとっては長すぎる滞在だった。彼らは家族連れで侯爵に付き添っており、滞在期間が延びることは好ましくなかったのだ。
そして、肝心のハイドンはと言えば、上と下で板挟みの状態だった。
主人は残りたい、部下は帰りたい。いったいどうしたものか。悩ましい。
そこでハイドンは一つの作戦を考えたのだ。
「むむっ! ひらめいたぞ! そう、音楽で伝えればよいのだ!」
ハイドンは楽団員と念入りに打ち合わせを行った。
そして迎えたオーケストラの演奏本番。演奏されたのは交響曲第45番。ハイドンはこの曲にエステルハージ侯爵へのメッセージを込めたのだ。
楽団が鳴らす豊かな音楽がホールに響く。
交響曲は第4楽章を迎えるまで何事もなく進行していった。
変化があったのは、フィナーレを迎える直前。オーケストラの奏でる音の影がスゥっとすぼみはじめたのだ。
原因は、奏者が一人また一人と演奏をストップさせ、席を立って退出し始めたからだった。
一つ、また一つと少なくなっていく楽器の音。次々と姿を消していく演奏者。
そして最後には、ハイドンを含めたヴァイオリン奏者2名だけが舞台に残った。こうして交響曲第45番は静かに終焉を迎えたのだ。
楽団員たちの奇怪な行動に、最初はエステルハージ侯爵も「えッ?」と驚いた。だが、その演出に隠されたメッセージにすぐに気づくと、部下たちに休暇を与えることにしたという。
このエピソードから交響曲第45番には『告別』という愛称がつけられた。
恐らく、『家族にしばしの別れを告げる時間』を作った曲だから『告別』なのだと思われる。
交響曲第94番『驚愕』
ハイドンのユニークな音楽は他にもある。
交響曲第94番、通称『驚愕』だ。
ハイドンは当時、オーケストラの聴衆に対してある不満を抱えていた。演奏中にスヤスヤといねむりをしてしまう客の姿が見えたからだ。
そこでハイドンは、またもや音楽でこの不満を伝えることにした。
いつも通りのオーケストラが始まる。
演奏が始まると、静かな音色がホールに響き渡った。
聴衆は思わずうつらうつらとうたた寝を始めた。
そこでオーケストラは楽譜に従い、一斉に大きな音を鳴らすのだ。
驚いた聴衆は何事かと慌てて飛び起きた。
そう、この楽曲は演奏中にうたた寝をしてしまう聴衆へのサプライズを込めた、ハイドンのイタズラ楽曲だったのだ。
ハイドンのすごいエピソード
『神よ、皇帝フランツを守り給え』が国歌になる
当時、神聖ローマ帝国は革命戦争の真っただ中にあった。ナポレオンが馬に乗った、あのフランス革命の戦争だ。
そんな時、作曲されたのが『神よ、皇帝フランツを守り給え』だった。
一説では、国民の団結を狙った案件として作曲したそうだ。
この楽曲は神聖ローマ帝国、後にオーストリア帝国で国歌として採用され、第二次世界大戦が終わるまで使用された。
現在では、ドイツの国家『ドイツの歌』にその旋律が転用されている。
<感想>
ハイドンの魅力はやはりその人柄。伝えたいメッセージを音楽で表現したそのユニークさは、ぜひ見習いたい。個人的には今回調べた音楽家の中では一番好きな人物だ。
次回は、ベートーヴェンの不憫すぎるエピソードを紹介したい。
それではまた。