オペラが人生、音楽家ヴェルディ
ヴェルディってどんな人?
ヴェルディは浮き沈みが大きい音楽家。ある時は一心にオペラの制作に取り組み、それが大成功に終わると次は田舎に引っ込んで農作業で憩いを得たという。その後、また不意にオペラの制作に戻った。
オペラに対するこだわりがとても強く、特にリハーサルは入念に行われた。
有名な曲『ナブッコ』『リゴレット』『オテロ』『ファルスタッフ』
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ヴェルディのエピソード
どん底からのはい上がり、オペラ『ナブッコ』
これは妻や子が相次いで亡くなり、さらにはオペラ『一日だけの王様』すらも失敗に終わり、ヴェルディの気持ちが沈みに沈んでいたころの話。
もはやヴェルディにはオペラに関わろうという意欲などなかった。
そんなある日、街中で劇場の支配人とバッタリ出くわしてしまう。
ヴェルディは支配人に連れられ、事務所まで足を運んだ。そして、支配人からオペラの台本を託された。
「冗談ではない。今はそんな気にもなれんのだ」
ヴェルディは帰宅すると、受け取った台本をそこらへ放り投げた。すると、台本は風にあおられ、ページがパラパラとめくられていった。そして、ヴェルディは偶然開かれたそのページに目を奪われたのだ。
そのページには、こんな一説が書かれていた。
『Va pensiero , sull'ali dorate(行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って)』
この一説はヴェルディの心を強く動かした。彼はもう一度、オペラを書いてみたくなったのだ。
ヴェルディはさっそくオペラの制作に取り掛かった。
そして、オペラ『ナブッコ』が完成し、1842年に開かれた初演は大成功に終わった。
ちなみに、このオペラ『ナブッコ』で登場する『Va pensiero , sull'ali dorate』の合唱部は、第二の国歌と言われるほど人気が高いらしい。
国会議員(あいまいです)
ヴェルディはたびたび長期の休暇を取ることがあった。
後にイタリアの初代首相となるカヴールとも、そんな長い休みの中で知り合った。
「キミ、国会議員になってみる気はないかね?」
カヴールはヴェルディに国会議員になってくれないかと頼んだ。
ヴェルディは渋々ながらもこれを承諾し、国会議員としての活動を始めた、
やがてカヴールが亡くなると、ヴェルディもそっと議員から手を引いたらしい。
ちなみに、ヴェルディは晩年に納税額の多さから、上院議員にもなったそうだが、これもまた無関心を貫いたようだ。
老いても枯れぬ創作欲『オテロ』
ここから2つ続くエピソードが個人的に一番好きな話。
ヴェルディが音楽家として活動を続け、成功も失敗も体験し、ついに晩年と呼ばれる時期に入った頃のこと。
ヴェルディもすっかり年寄りになり、本人も「そろそろ身を引いて余生を楽しもうかな?」などと考えていた。
しかし、心の奥底では音楽の熱がまだくすぶっていた。
それを上手く引き出した人物がいた。リコルディと言う人物だ。
リコルディは田舎で過ごすヴェルディの元に一冊の台本を届けた。
その台本はボーイトという作曲家の台本だった。ヴェルディはこのボーイトの台本に大きく興味をひかれた。
さっそく、交渉に向かうヴェルディだったが、心とは反対に理性がブレーキをかけた。長年のブランクがヴェルディは気がかりだったのだ。
それを察したリコルディはボーイト本人との共作を勧めた。ヴェルディも喜んでこれを引き受け、オペラ『オテロ』の作曲が始まった。
ヴェルディはボーイトから刺激を受け、ボーイトもまたヴェルディに敬意を抱いていた。そして、二人の共作はついに完成した。
そうして上演された『オテロ』は、ヴェルディにとってもこれまでにないほどの大成功に終わり、ヴェルディもこれが終作となるだろうと考えた。
しかし、ともにこのオペラを作りあげたボーイトはそうは思わなかった。
ボーイトはヴェルディに更なる躍進を望んでいたのだ。
最後のオペラ、笑って終われ『ファルスタッフ』
ボーイトはヴェルディにまたオペラを作曲してもらいたくて、彼のやる気を出させる方法を考えた。そして、ヴェルディの心に残った後悔を刺激してみることに決めたのだ。
ヴェルディの心残りとは、喜劇に対するトラウマのようなものだった。
実は、ヴェルディが若いころに作曲した喜劇のオペラ『一日だけの王様』は大失敗に終わっており、以来ヴェルディは喜劇作品を作ってこなかったのだ。
そのことを知っていたボーイトは、シェイクスピアの『ウィンザーの陽気な女房たち』をもとに書いた一冊のノートを、ヴェルディに見せ説得を始めた。
「悲劇は苦しいが、喜劇は人を元気にします」
「華やかにキャリアを締めくくるのです」
「笑いですべてがひっくり返ります」
ヴェルディはボーイトの言葉に胸が熱くなるのを感じた。
そして、ボーイトの説得に乗る覚悟を決めたのだ、
それからすぐに、ヴェルディとボーイトはオペラ『ファルスタッフ』の制作にとりかかった。
二人は節操のない興行主に見つからぬよう、こっそりと作業を進めた。
老齢のヴェルディには心労も多かったが、なによりこの喜劇の制作は楽しかった。
1年半が経ち、ついに『ファルスタッフ』は完成した。
そして、『ファルスタッフ』は上演された各地で大好評を受けた。
ヴェルディはこれをもって、心穏やかに音楽活動から引退した。
<感想>
ヴェルディの生活スタイルは個人的に憧れがある。一時は仕事に集中して取り組んで、その合間にはゆったりとスローライフを送る、実に理想的だ。
しかし、残念なことに自分にはヴェルディのような生活が送れるほど、才能にあふれていない。悲しい。
次回は、クラシック音楽編の総まとめを行い、このジャンルの締めとしたい。総まとめの後は、また別ジャンルの調べものに励む所存だ。
それではまた。