音楽家ワーグナーの慌ただしい人生
ワーグナーってどんな人?
オペラで大活躍したロマン派時代の音楽家。ドイツへの愛国心が強く、思想家としての知名度も高かった。ワグネリアンという熱狂的なファンがいる。生涯を通じて借金に追われる。革命に参加して指名手配もされる。その人格にふさわしい苛烈な人生を送った。
有名な曲:『タンホイザー』『ローエングリン』
『トリスタンとイゾルテ』『二―ベルングの指輪』
<おすすめ動画>
ワーグナーのエピソード
借金と夜逃げとオペラ『さまようオランダ人』
ワーグナーが26歳の頃。
その頃にはすでに、ワーグナーは多額の借金を抱える生活を送っていた。
ワーグナーは考えた。
(借金を0にするにはどうすれば良いのだろう……?)
「そうだ!密航だッ!こうなったら夜逃げして借金を踏み倒すしかない!」
ワーグナーは人々の目を盗んで、外国行きの船に乗り込んだ。
しかし、この密航は予想外の苦難にみまわれた。
航海中の嵐に巻き込まれ、船が岸へ向かえなくなってしまったのだ。
その結果、乗客たちはしばらく船上で生活せざるをえなくなった。
船上での生活は2日,3日・・・7日、8日と続いた。それでもまだ港には辿りつけなかった。乗客たちは終わらぬ船上生活に嫌気がさしていた。
船とともに波に揺られながら、ワーグナーは『フライング・ダッチマン号』というドイツの幽霊船伝説を思い出していた。いつまでも岸に着けることもできず、永遠に海上をさまよい続けるドイツ船のお話だ。
「そうだ。あの伝説をオペラの題材としよう」
ワーグナーはこの経験から得られたインスピレーションをオペラに生かそうと考えたのだ。ワーグナーはただでは転ばない男だった。
結局、その船は3週間もの間、海に浮かび、その果てにロンドンへと到着した。
ワーグナーは無事に密航を完遂したのであった。
そして、1842年、オペラ『さまよえるオランダ人』が誕生した。
革命、そして指名手配
1848年3月、ドイツで革命の動きがあった。
ワーグナーはこの革命運動に積極的に参加し、ドイツに対する思いや願いを演説で語った。そして、ドレスデン蜂起が起きるとワーグナーはこれに参加した。
ドレスデン蜂起は革命の空気を抑え込みたい政府軍と、そんな政府に対して怒りに燃えた革命軍との戦いだった。
(この革命はドイツのための革命なのだ! 真に国を想うのならば、革命を成功させねばならない!)
そう考えていたワーグナーはドレスデンの暴動に積極的に関わった。
ワーグナーは教会の鐘を鳴らし、兵器庫を襲撃する民衆を鼓舞した。
また、政府軍に革命軍が押され始めると今度は教会の屋根に上り、全体を見渡して革命軍に指示を出した。そして、ワーグナーはそのまま一晩を屋根の上で過ごしたという。
しかし結局、ドイツで起こったこの革命運動は失敗に終わった。
その結果、ワーグナーはドイツ政府からの指名手配を受けることになり、愛する祖国から追われる身となってしまった。
ちなみに、もし、この時ワーグナーが捕まっていれば、彼は終身刑になっていた可能性が高いらしい。
そんなワーグナーを助けたのは、音楽家フランツ・リストだった。彼はワーグナーの亡命の手助けを行い、ワーグナーは無事スイスへと逃れることができたのだ。
以降、ワーグナーは愛する母国を離れて活動することになった。ワーグナーがドイツへの帰還を許されたのは、それから10年以上も後だった。
ルートヴィヒ2世の支援
ワーグナーの音楽の熱狂的なファン、いわゆるワグネリアンの中には、とんでもない人物までまぎれ込んでいた。
バイエルンの国王ルートヴィヒ2世もまたワグネリアンだったのだ。
ルートヴィヒ2世は憧れのワーグナーを部下に探させ、宮廷に招いた。
そして、ワーグナーに多大な支援を行ったのだ。
おかげで、宮廷から解雇されるまでのしばらくの間、ワーグナーは資金不足に臆することなく音楽活動ができるようになった。
そして、ワーグナーは自分の作品を上演するためだけの、まさに自分専用の劇場まで建ててしまったのだ。
ちなみに、そこで行われる『バイロイト音楽祭』という音楽イベントは今日まで続いており、ワーグナーの作品を中心に上演されている。
<感想>
ワーグナーは本当に不思議な音楽家だ。性格面で見れば、とても愛されるようなキャラクターには思えない。なのに、彼にはワグネリアンという熱狂的なファンすらできた。ただの所感だが、ドイツを深く愛し、その愛を作品に詰め込んだからこそ、それほど熱狂的なファンが生まれたのかもしれないと感じた。
次回は、ワーグナーと同じくオペラの分野で活躍した『ジュゼッペ・ヴェルディ』についてお話したいと思う。それではまた。