大人になってから思い出す、子どものときに言われた言葉
幼少期から中学生ぐらいまでは、心も体も未発達。不安定で、柔らかくて、傷つきやすい。そんな多感な時期に、悪気なく大人から発せられた言葉が、子どもの心に突き刺さることがある。そして、突き刺さった言葉は、抜けない棘のように、大人になっても刺さったまま。
誰しもそんな言葉をひとつやふたつ持っているのではないだろうか。その影響で、人生が左右された人もいると思う。
私も同じだ。普段は記憶に蓋をしている。でも、トリガーとなる行動があって、その行動をするときに蓋がパカッと開いてしまう。
「あー、やっぱり今も覚えている」
そして、今大人になった私が、自分が言われて嫌だと感じた言葉を悪気なく使ってしまっている。もっと意識しないと。子どもたちに、一生抜けない棘を刺すことになってしまう。
「兄弟姉妹と比較されること」
私は二人姉妹だが、病弱な妹はよく小学校を休んで家で寝ていた。私だって、学校で辛いことがあって、泣きながら帰ってくることもある。家に帰って家族に優しい言葉をかけてほしかった。
でも母は、妹の心配しかしていなかった。私が泣いていると慰めるどころか、「大声で泣くから、遠くからでも帰ってきたことがわかったわあ」と楽しそうに笑った。子どもながらに、絶望したベトベトした感情をこみ上げ、口の中が酸っぱく感じた。笑いの対象にされた。ほんとは母から優しい言葉をかけてほしかったのに……。
そして、自分が大人になったら、絶対に子どもの心に寄り添うと決心した。
また、小学生の頃から、母からあれこれ用事を言いつけられた。「昔の人は小学生から家事を手伝っていた」と小言を言われた。肉が食べられず調理できない母に代わって、晩御飯を作ることも多々あった。でも、普段食の細い妹が、私の作るご飯は美味しそうに食べるので、それが救いでもあった。
一から十まで、母は妹には優しく、私には厳しい。ある日、自分で洋服ダンスを整理するように言われた。小学生がタンスの中を綺麗に整理整頓することは難しい。でもやらなかったら、また怒られる。仕方なく引き出しを開けると、半分ぐらい妹の洋服が入っていた。片付けるように言われたのに、溢れている洋服をしまう場所がない。それで、妹の洋服をタンスから出した。それを見た母が、
「何やってるの? 意地悪な子は外に出なさい!! 」
妹の洋服が私のタンスからひっぱり出されて、山積みにしたのを見た母は、私を外に出し暗くなるまで鍵をかけて家にいれてもらえなかった(祖母が見かねて鍵を開けてくれた)。
「まだ片付けている途中だったのに……」
なぜ洋服を出していたのか説明する暇もなく、勘違いで母の怒りは爆発した。その出来事で、母は妹がかわいけど私のことは嫌いなんだと確信した。今なお、衣替えの季節が来ると、このときの記憶と言葉がよみがえり、忘れることができない。
自分が親になってからは、子どもたちのことを平等に言葉をかけて、平等に愛そうと決めた。一方で、ワンオペで育児から介護までこなしていた当時の母の心境を思いやった。「今の私と同じ」。そのときの母のイライラした気持ちが少しだけ理解できる気がする。
「泣いているような声だね」
家電が鳴り、受話器を取った時に母の友人から言われた言葉。相手に悪意は無い。泣いているのかと思い、心配して言ってくれたのだろう。だがそんなことはなかった。今なら言えるけど、幼い私は言い返すことができなかった。
「地声なんで、気を使ってもらわなくて大丈夫です」と。
泣いてるみたいと言われた言葉がひどく嫌だった。それからというもの、外に出ると口数が減り、必要なこと以外話さず、声も小さくなった。自分の声に自信が持てない。友達の輪にも入っていけない。中学生まで引っ込み思案だったなと思い返す。
今は大人になり、声も低く太くなった。声について指摘されることはなくなった。だが、誰かと話しているときに、ふと声は大丈夫かと気になる自分がいる。
「色っぽいね」
近所の友達のおばさんに言われた言葉、「佑月ちゃんは色っぽいね」。まだランドセルを背負っている小学4年生か5年生のときのことだった。今言われたらお世辞の部類に入るのだろうけど(もしくはセクハラ)、小学生のときは本当に嫌で仕方なかった。洋服はジャージしか着ていなかったので、雰囲気か体型のことを言っていたのだろう。自分では気をつけようもない。
当時私は平均よりもかなり早く初潮が来ていた。そのタイミングに合わせるように投げかけられた言葉。見透かされているようで嫌だった。女性らしくなってくることに対して嫌悪感を抱くようになった。
今はもう誰からも言われることはないけれど。そして、年頃の娘は、自分のことを「俺」と呼ぶようになった。もしかして、私と同じような気持ちでいるのかなとときどき思う。容姿について私から娘に伝えたことはないが、言わない方がいい言葉だということはわかる。
子どものころの辛かった言葉って、ブーメランのようだ。だがたまに、私にかつて発せられた言葉が、私を飛び越して娘に向かっていくときがある気がする。
特に兄弟姉妹との比較には気を付けている。子どもを傷つけたくなかったら、自分が子どものときに言われて嫌だった言葉を言わないこと。私の習慣。自戒を込めて書き記す。
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