【アルツハイマー型オカンと「笑って暮らすぞ!」】その15 薬が合わず弱るオカン、同居しているのにまた転倒!
ちょっと間が空いてしまいました。
在宅の仕事をちょこまかと探したり勉強したり。
なかなか経験なし、スキルわかんない、だと
お仕事いただけませんねえ。ぅぅっ・・・
*******************************
オカンと同居し始めて3か月ちょい。
脳神経内科で処方してもらっていた薬があわないのか、
認知症や体の老化がすすんでいるからなのか、
とにかく弱っていくばかりの日々。
歩くのもヨッタヨタ。
手は震え、ご飯の時は体が傾く。
散歩もそんなにたくさん歩けないし。
どうしたもんかなあ、と悩んでいたころに
事件勃発。
私がお風呂に入っている間、
おなかが空いたので
机の上のお菓子を取ろうとしたとき、
立ち上がり損ねてスッテーン!と転倒。
結構大きな音がしたので
慌ててお風呂から飛び出てきたら
リビングでひっくり返っていました(笑)
いや、笑い事ではないんですけど。
とりあえず、私は大急ぎで服を着て
オカンに起きれるかどうかを聞いてみたところ、
起きれそうやで。
との返事。
ほな、起きてみぃ?
と言うと起きれない。
どうもお尻を強打しているみたい。
やばい・・・左の大腿骨転子部の手術部分に問題あったらどうしよう・・・
手術したとき、執刀医に、
転倒には本当に気を付けて。
転倒で手術したところに何かあったら
ひいいいいいい!っていうぐらい、
大変なことになりますので・・・・
とビビらされていたがらやん。
在宅診療のドクターを大急ぎで呼んで
(救急車より先によべ、と言われてたので。
幸い、脳の病気のような超緊急性がある感じではなかったし。)
ドクターの判断で救急車呼んでもらいました。
そのドクターに見てもらっている間も
おかんはのんきに、
大丈夫や、寝てたら治るから。(年寄りがよく言うやつ)
それより早くご飯たべようや。
と言ってました。
ドクターもがらやんも苦笑い。
夜遅くまで救急病院で待たされて
結局、恥骨骨折との診断。
とりあえずそのまま入院てことに。
まだまだコロナだし、夜おそくでも病院全体がドタバタ、
プラス、その病院が人手不足なこともあって
なんかもう、すごく説明不足なまま明日手続きにきてください、と。
仕方ないからいったんそのまま帰宅。
書類をいろいろ見てみると、
暴れたりひどいときには身体拘束しますので
その承認サインをしろ、と書いてありました。
ええええっ!?
それはちょっと・・・
と思ったけど、骨折しているから動かせないし、
もうそこで診てもらうしかないので
しぶしぶサイン。
前の病院で、身体拘束されているおばあさんとか見てきたけど、
ほんとうにつらかった・・・
あんなん、ほんまにせないかんの?
認知症やから仕方なしってか?
人手がないから仕方なしってか?
なんか方法あったりするやろ?
病院で働く人たち、かしこいねんから、なんか考えようよ?
もんもんとしながら
書類はとりあえず提出。
平日15分だけ許されている面会に毎日行って
オカンのお世話をしていました。
そうこうしていると、
転院の話が出てきて、
急性期は脱しているので
リハビリ専門の病院に、と提案されました。
このころまだ何にも知らなかったのですが
療養やらリハビリで済む症状の高齢者(若者も?)は
転院してリハビリに特化した治療を行うシステムがあるんですね。
ここで、生活支援担当の方と転院先を相談しながら決めるんですが、
いろいろと希望をこちらから文書にまとめて提出したら
「あんまりこういうことを転院先の病院に
言ったり質問すると嫌がられるんです。
現に、今日1件断られました。」
もうがらやん、目をぱちくり。
希望を伝えたり質問したら嫌がられる・・・?
患者は病院様のいいなりでいなさい、と?
生活支援担当の方がそう話をするってことは
それが一般的な暗黙のルールのようになっているんでしょうね。
患者ファーストとかそんな話、
医療の現場では全然、てことなのね?そうなのね?
転院先が決まらないと困るし、
転院した先でオカンが邪険に扱われてもあかんし、
と思い、ぐっとこらえて。
質問したら嫌がられるんですか?
そんな病院多いんですか?
病院やのに患者の希望や質問聞いてくれないんですね?
とりあえずその病院には行かなくても結構ですので!
と控えめに抗議。
まあ、生活支援担当の方が悪いわけではないんですけど、
そんな常態をおかしいとおもってないおまえにも怒っとんねん、うちは。
しっかりせんかい、ねーちゃんよ?ああーーん?
というニュアンスを含めて。
ね?(笑)
結局、大腿骨の手術をしてもらった病院に転院。
ここで約3か月ほど、リハビリしてもらうことに。
転倒したときは、
オカンに申し訳ない気持ちでいっぱいだったのですが、
このころにはもう気持ちが切り替わって、
今や、今しかない、
うちの冬休みや!
旅行いくぞっ!
まだまだコロナだったので
週に1回、30分以内の面会しか許されてなかったので
元気に旅行計画を立てていました(笑)
最長で2~3泊ぐらいの
短く格安な旅行ばかりだったのですが
それはそれは羽を伸ばせました。
1人ってなんて楽なんだ!
ああ幸せだ!と
オカンにはご当地のちょっとしたお菓子なんかをおみやげに。
この時のレスパイト時間は
私にとって本当に心が休まる時間でした。
どんどん弱っていくオカンを見て
一日中オカンと過ごして、だと
やはり心がウツウツとしてたんでしょうね。
神様が、がらやん、ちょっと休憩しなはれ、
と思ってくれたんでしょう。
退院が近づいてきたころ、
面会に行くと、オカンが何だか結構元気になり始めていて
足もかなりしっかりしているのがわかるようになってきていました。
あら?なんか、オカン、元気やな・・・
リハビリをしっかりしてくれていたのもあるのですが、
退院時に薬剤師さんにお話を聞くと
薬を最小限まで減らしました、と言われました。
あと、水をしっかり飲ませてください、とも。
薬はいくつか精神系のものを服用していましたが
退院の時には、ごく弱い入眠剤のみに。
意識もはっきりしているし、手の震えもなし。
すべて薬の副作用だったようで。
あきらかにオカンの状態がよくなっていて
ほんとに驚きました。
私がよかれとおもって連れて行ってた脳神経内科は
全く必要なかったのか!?てか、悪影響だったのか!?
急に断薬したこともダメだったし、
(これはかかりつけの前の前のドクターの判断だったのですが)
複数飲んでいたのもダメでしたね、と薬剤師から教わりました。
それと、退院してから色々調べてて分かったのですが
どうも水分不足で体の機能が弱っていたようでした。
お茶も水も、のど乾いてない!いらん!と言ってたのを
真に受けて、まあご飯の時に飲んでるからええか、と
ちゃんと飲ませてなかったことも軽い脱水症状を招いていたのでした。
何事も経験。
脱水症状になるぐらいなら
少々糖分があってもジュースとかで水分補給する方がいい、と
学びました。
退院してからは、
結構な距離の散歩ができるようにもなって
毎日1km以上歩くように。
当然、よく食べるし、元気だし。
ああ、転院先の病院、ええとこでよかった!
でも。
介護が終わる日が遠くなったんやないの?(笑)
そういう生活になるのを選択したのは私だから
まあ、仕方ない。
気長に、今度こそ転倒させないようにしなくては。
そうやってまた在宅介護生活が再開されました。
このあと、しばらくは平和にすごしていたのですが、
オカン、次は内臓系の病気を勃発させます。
まー、いろいろやらかしてくれますわ。
若いころの不摂生がたたりにたたってる病気です。
次回、
その16 急性胆嚢炎/胆管炎 勃発!絶食1週間!
です。これもまた大変な病気でした。
ただでさえ偏食やのに・・・どないせえっちゅうねん!の巻。
お楽しみにっ!