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【なぜ私は苦しまなければならないのか】
人生には、さまざまな苦しみ悩みがやってきます。
そんなとき、
「何でオレばかりこんな目に」と、他人をうらんだり、
「もう嫌だ、投げ出したい」と、自暴自棄になってしまいがちです。
【なぜ私は苦しまなければならないのか】
このことを、あきらかにみなければ、苦しみは解決できません。
仏教ではこれを「諦観」といいます。
「諦観」とは、アキラカニミルということで、何をあきらかにみるのかというと、「因果の道理」をあきらかにみよ、ということです。
「因果の道理」とは、結果には必ず原因がある。原因なしに起きる結果は万に一つ億に一つ絶対にない。これはいつでもどこでも変わらない大宇宙の真理なのです。
また、私が受ける結果の一切は、私の行いが生み出しているのだ、と仏教では教えられます。これを「自因自果」といいます。
なので、今、私が苦しみを受けている、というのも一つの結果ですから、それには必ず原因があります。原因を変えれば、結果は必ず変わります。苦しみを生み出だしている私の行いをあきらかにみつめ、的確に対処していけば、人生は必ず好転していきます。
たとえば、職場で上司からパワハラを受けている。あまりにもひどくて、ストレスがたまって苦しんでいる。ここで、陥りがちなのは、「あの上司のせいで、私がこんなめに……」という思考です。確かに上司が問題とも言えます。しかし、その上司の元で働き続けるという選択を取っているのは、まぎれもない“私”です。私の行いなのです。
このことをあきらかにみつめたうえで、私が取るべき行動は、その上司よりも上の人に、今の現状を報告して部署を変えてもらうというのも一つの手です。それも難しいとすれば、仕事を辞めるという選択をとることも必要になってきます。仕事を辞めるというのは勇気がいりますし、たいへんなことですが、上司からパワハラを受けているという苦しみは必ず解消されます。
【私はなぜ、このような結果を受けているのか】
その、原因をあきらかにみつめ、対処していくことで、必ず人生は切り開かれるのです。