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【創作大賞2024恋愛小説部門】早春賦 #10『雪国』

前回のお話はこちら》


ゴールデンウィーク明けから客足が戻り、カウンター席だけでなく、ソファ席も埋まるようになってきた。着物に慣れてきたとはいえ、若葉一人では手が回らない。

閉店後、疲れ切った若葉は、カウンターに突っ伏している。

「早ようママが復帰してくれたらええのに。」
「…ホール担当を雇ったらどうや。」

またしても、モクさんから指令が下った。若葉はむくっと顔を上げて、モクさんを見た。相変わらず、モクさんはあさっての方に顔を向けている。

「人を雇う?あたしの部下、的な?いやいやいや、自分のことだけで精一杯やで。まだ着物もお茶も始めたばっかりやもん。」
「…大丈夫や。できる。」

モクさんに励まされるが、ユキエちゃんの温かい励ましとは違い、お前はまだ同じことを言わせるか、というウンザリとした心の呟きが聞こえるような気がする。

「また、そんな簡単そうに言う。モクさんは鬼コーチやな。」

若葉は小さくため息をついて呟くが、モクさんは相変わらず無表情のままでドアを開け、「帰るぞ」と若葉を促した。

翌日。若葉がお店に向かって歩いていると、打ち水をしていた近所の寿司屋の女将が、若葉ちゃん、と声をかけてきた。

「若葉ちゃんの店、人を探してんのやろ。モクさんから聞いたで。ラインで。」

「女将さんにまで、ラインで…?」

「うちの姪がな、夜のバイトしたがってんねん。富山の出身やねんけど、弟妹が多い家で、親に仕送りしてやりたいって言うてな。それはええねんけど、まだお酒を飲める年齢やないから、ちょっと心配でな。うちは人が足りてるし、モクさんと若葉ちゃんのところやったら安心や。よろしゅう頼むわ。」

モクさんのライン人脈は、どこまで広がっているのだろうか。あの人でもスタンプとか使うのだろうか。

そんなこんなで、六月の梅雨入り直前、寿司屋の女将の姪っ子が店にやってきた。中肉中背でやや固太りだが、丸顔のえくぼがとてもかわいい。年は十八。昼間は美容専門学校に通っているのだという。

「よろしくお願いしまぁす。」

姪っ子は、にこにこしながら明るい声で挨拶した。
モクさんから「源氏名は若葉が考えてやれ」と言われていたので、『つぼみ』と伝えると、かわいい、と手を叩いて喜び、「あたしは『若葉ママ』って呼んでもいいですかぁ?」と人懐こい笑顔で言う。
 
『若葉ママ』
 
なんだかとても、こそばゆい響きだ。若葉は自分にかわいい妹分ができたように思い、少し嬉しくなった。

つぼみの初出勤が無事に終わり、全てのお客が帰った後。緊張が解けた若葉がソファにぐったりと寝そべっていると、モクさんがカウンター席のスツールを指して「ここに座れ」と言う。
   
二人の他に誰もいない静かな店内で、モクさんが振るシェーカーの音だけが響く。若葉はいつも水割りを自分で作って飲むので、モクさんが作ったお酒を飲んだことがない。
モクさんは、いつもお客の前でやるのと同じように、シェーカーを振る手を丁寧に止め、白濁した液体をカクテルグラスに注ぎ入れ、若葉の前に無言で差し出した。若葉はそれを横から眺めてみる。

グラスの縁にまぶされたグラニュー糖が、ダウンライトの光を受けてキラキラと白く輝いている。なみなみと注がれた純白の液体はほのかに光を放ち、その底には、鮮やかな緑色のチェリーが一粒、ひっそりと沈んでいる。

その清らかで静謐な景色に、若葉は感嘆の声を上げ、ため息をついた。

「綺麗やなあ。」

モクさんは何も答えず、カウンターの向こうに突っ立ったまま、グラスの中の白い景色をじっと見つめている。
若葉はグラスを取り上げ、一口飲んだ。ベースはウォッカだろうか。強い蒸留酒の焼けるようなインパクトと共に、柑橘の清冽な酸味と程よい甘みが、喉の奥に向かってゆっくりと広がっていく。

若葉は目をつむり、しばらく余韻を楽しんだ後、モクさんに笑顔を向けた。

「すっごくおいしい。なんていうお酒やの?」
「…雪国。」

モクさんはうつむいて、今使ったばかりのバーツールを手に取りながら答えた。

『雪国』…。

若葉は復唱し、改めてグラスを横から覗き込む。

白く冷たい吹雪に耐えながら…静かに春を待っている……新緑の…若葉が。

途端に若葉の胸が熱くなり、我知らず涙が込み上げてくる。零れ落ちそうになる涙をなんとか目にたたえ、若葉はモクさんに、「ありがとう」とお礼を言った。


続く

前回のお話はこちら》


【第1話はこちら】

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