祖母への詫び状
こんにちは。鳴海 碧(なるうみ・あお)です。
祖母の嫁入り話を書いた実録『瀬戸の花嫁』をお読みくださった皆様、ありがとうございます!反響をいただき、本当に、本当に嬉しいです。
ここで私は、祖母に、そして皆様に、お詫びを書こうと思います。
この実録は、私が祖母から直接聞き取ったような態にしていますが、実はそうではなく、両親や親戚から聞いた話の断片を編集したものです。
周囲から聞いたままを書き記しているので、私が勝手に捏造したものではありません。しかし、私が祖母から直接聞いたものではないのです。
更に言えば…
私は祖母と17年間同居していたにも関わらず、会話をしたことがほとんどないのです。
思い出せる会話は一度だけ。小学校の宿題で「お年寄りから昔話を聞こう」というものがあり、同居する祖母に聞くのが手早かろう、と、部屋を訪れて話を聞いた、その一度きりの記憶しかありません。
何故、そんなことになってしまったのか。
それは、母から、祖母との交流を禁じられていたからです。
嫁姑の確執はどの家庭にもあると思いますが、私の祖母と母もまた、折り合いがとても悪く、内孫である私は、その諍いに見事に巻き込まれました。
私が物心つく前から、母は私に「おばあちゃんは、あんたのことが大っ嫌いなのだから、話をしないように」と言いつけていました。
私は母の言葉どおり「祖母は私のことが大っ嫌いなのだ」と信じ、母の言いつけを忠実に守って祖母を避け続けました。
祖母から直に嫌な思いをさせられたことなど、一度もないにも関わらず、です。
祖母は、私の18歳の誕生日に、老衰で亡くなりました。92歳でした。自宅で介護していたので、死際には私も立ち会いました。
祖母は苛烈な性格でした。
母はよく私に「あんたはおばあちゃんによく似てる。だから、あんたもきっと、おばあちゃんみたいに、周りから嫌われて、独りぼっちになって、不幸になるに決まってる」と言っていました。
確かに、私は祖母によく似ています。性格は瓜二つだと思います。
だから尚更、祖母の気持ちがわかります。内孫である私からずっと避けられていた祖母の気持ちが。それでも、私に意地悪なことなど一度もしなかった祖母の気持ちが。母と折り合いが悪くても、周囲には愚痴ひとつこぼさなかった祖母の気持ちが。
祖母は自室に籠りきりで、家族と交流することはありませんでした。毎朝、祖母の部屋に朝食を運び、お茶碗にご飯をよそうのが、私の仕事でした。
「おばあちゃん、ごはんはこれくらいの量でええ?」
そう聞くのが私の日課で、そんな私のことを、祖母はいろんな人に「碧は優しい子じゃ」と語っていたそうです。
…すみません。私、今泣きながら書いています。
おばあちゃん、本当にごめんなさい。
小学校の宿題のために部屋を訪れた時、昔話を嬉しそうに楽しそうに語ってくれたおばあちゃん。
もっと話を聞いておけば良かった。
本当におばあちゃんが私のことを大っ嫌いなのかどうか、自分自身で確かめれば良かった。