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【生きづらさを感じる】8:不登校生活が始まる

児童相談所に行ってしまった娘を迎えに行かなかった私たち。その前に起こったことを話していなかったので、苦渋の決断に至るまでのことを記します。

・電車に乗って家出を実行
一度目の児相に保護されてからわずか数日。娘は再び家を飛び出しました。その時も妻と買い物に出かけた際です。

就学前の小さな子供用のショッピングカートを店内で使っていて、それを妻が注意したところ、激昂。手を繋いでいた妻の一瞬の隙をつき、ショッピングモールから駅へと走り去ってしまったとのことです。妻が後を追ったものの、どこへ行ったのか分からず、結局、警察に通報。キッズ携帯を持たせているからGPSを起動させてみると…

すでに、他府県に移動していたことが判明。
娘は電車に乗っていることが確定できました。

・娘が向かった先は?

所轄の警察官(少年課の刑事)が家に来てくださいました。どんどん速度を上げて、私たちの街から遠ざかるGPSのマーク。その進行方向に娘の親族がいるわけでもありません。行く先に全く見当がつきませんでした。

「何のためにどこに向かうのだろう?」
「乗車料金はどうなっているのか?」


離乳食のお節料理 懐かしい写真です


大人4人(私・妻・2人の刑事)の頭の中はとにかく疑問ばかり。ただ、今までより危険性が格段に増していることは明らかでした。電車の運行表を見ながら、娘の居場所・乗り込んだ電車の特定に全力を注いでいました。

それから1時間後…

停車した駅の場所から列車がついに特定。
同時に目的地も明らかになりました。

府県を跨ぐの事案なので、刑事の方々も他府県警察に協力を要請。予定の時刻ぴったりに終着駅で警察から「娘を保護しました」と連絡が入り、安心しました。何と娘が保護されたのは、自宅から100km以上離れた場所でした。

・不登校生活の始まり

結局娘はその日、保護された地域にある児童相談所で一夜を過ごしました。皮肉にも、その場所は私がかつて生まれ育ち、19歳まで過ごした地元でした。

「まさか、こんな形で娘がそこへ行くとは…」

何とも言えない感情を抱いていました。

そして翌日には児童相談所の職員さんが娘を迎えに行き、私たちも娘と再開。

「なぜそんな遠出をしたのか?」
「途中で必要なお金(運賃・特急料金など)はどうしたのか?」

本人に話を聞くと、

「改札は前の人の後をつけて突破した」
「なんか早い電車に乗っても何も言われなかった」

これを聞いて、私・妻・児相職員さんも
「それは泥棒と一緒」と厳しく断罪。

気まずそうに話す娘の様子を見ていると、娘なりに「一人で遠くに行くことがどれだけ危険なのか。そして無賃乗車はいけないこと」といった、悪いことをした自覚はあるようでした。ただ、その重大さについてはそれほど深く考えていなかったと感じていました。

色々な感情が頭の中をグルグルとしましたが、無事そうな娘の様子を見て私たちはひとまず安心しました。そして、私はこのような質問を娘に投げかけました。

「何が嫌でこんなことをしたの?
「・・・学校。だって先生怖いし、暴言もあったから会いたくない」

私の中では何となく察していた答えでしたが、娘から改めてこのワードが。

「じゃあ、明日からちょっとお休みして、充電しよう」
「そうする」


いつになったら娘の心は元に戻るのか…
元気な姿はもう見せてくれないのか…
私たちは子育てを間違ってしまったのか…

正直言って答えは出ません。
少しずつ上向きの兆候が見られる今となってもわかりません。

こうして、娘の不登校生活がスタートしました。

あとは学校に連絡を入れるために私は小学校へと向かいました。

ですが、そこでは思いもよらぬことが…

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