「意識の隙魔」
世の中、分かった上で善からぬことをする人はいないと思います。
ただ、意識の届かないところ、隙間に「魔」が潜むことが多いのではないかという心配があります。
その「隙魔」によって、必ず誰かが苦しんだり嫌な思いをしています。
厄介なのは、自らの意思で自発的に意識の幅や方向を拡充するのはなかなか難しく、「隙魔」の存在に気付くことが少ないことです。
各人が過ごしてきた環境と経験の蓄積で世界観ができ上がり、常に存在しないはずの完成形如くの意識だからなのだと思うのです。
ルールという境界線を知ることによって「隙魔」に気付くチャンスを獲得できますが、それでも境界線の入り口側なのか、ど真ん中なのか、出口側なのかの意識の違いによって各人独自の理解が生まれるため、全く同じ「隙魔」を共有し合うことは、かなり難しいことなのだと思います。
気付かせたい相手がいる場合、お互いに譲り合って理解のための余裕幅を持たせることができれば、全く同じ「隙魔」の発見に近付くことができるのかも知れません。
そのためには、お互いに建設的に求め合う意識と柔軟さが必要となりそうです。
埋まるのを待つ「隙魔」が、多く浮遊しているように感じてなりません。
言葉にして、声にして表現し、気付く機会を増やしたいと思います。
この努力は継続するつもりです。
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