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1人目と2人目の妊娠出産。パパとママのとらえ方と今。

生理が来ない。気が付けば、予定日から1週間経っていた。


第一子産前はめちゃめちゃ不安定だった生理周期も第二子を産んでからすっかり安定していたので、今回の生理の遅れには私も旦那さんも「これはもしかして、もしかしてなのでは…?」とソワソワ、ざわざわしていた。

もし、いるとしたら。

そんな前提で想像を何度もした。21年、23年、25年の出産。2年刻みで、なんだかいいリズムだな〜。次は歯じゃなくて骨折れそうだな~。なんて呑気に思いながらも、どこか冷静に「教育費やばくない?」と自問自答する日々だった。



結果的には、まるっと10日遅れて生理は来た。

3人目はお腹にいなかった。


安心とちょっとした虚無。


このことをきっかけに、旦那さんとライフプランを話し合い、第一子・第二子の妊娠出産を振り返った。今日はその忘備録を書き残したい。




第一子の妊娠がわかったタイミングは、コロナ真っ只中の2020年の暮れのこと。

20代で初期段階の不妊治療をしていた私も旦那さんも、妊娠がわかったときは本当に本当に嬉しくて、泣いて喜んだ瞬間は今も色鮮やかな記憶として残っている。

妊娠発覚の2週先に結婚式を控えていたんだけど、妊娠発覚からもうずっとテンション爆上げのお祭り騒ぎだった。まだまだ安定期も遠いというのに、両親と義両親にサプライズしたりして。

純粋に喜びしかなくて、先の不安はもちろんあったんだけど、どこか他人ごとというか。

妊娠発覚してすぐは、まだまだ私も旦那さんも「子どもが生まれること」に対する全ての解像度が粗かった。

全てに対して、物事が起きてから対処していた。

でも、どんどん妊娠週数の数字が増えていくに連れ、私は多少なりとも母になっていった。子どもが生まれてからの暮らしをありありと想像して、不足しているものを買い足したり、もらったり、学んだり、調べたり。

一緒に親になっていってほしいと思っていた旦那さんはどこか他人事な気がして、いちいちイライラしていた。

思い返せば仕方なくて、コロナ禍で付き添いはないし、母親・父親学級もないし、出産の付き添いもないから、ただ大きくなる私のお腹しか子どもが生まれる実感を味わう方法がなかったんだよね。

旦那さんも当時は、子どもが生まれることが自分の中でぜんぜん具体的にならなくて、そんな自分に戸惑っていたそう。

不安の当事者の私と、当事者なはずなのについていけない旦那さん。その差は、ときに溝になって、すれ違う原因にもなった。喧嘩もした。




第二子の妊娠は、妊活開始して秒でできたので、あまりも早すぎて驚いた。

2人目の妊娠・出産となると、私と旦那さんの足並みも1人目よりはそろっていた気がする。

これからお金がかかることを見越して、鬼のように働く旦那さんと、育休中の私はのらりくらりのんびり構えていて、温度感が異なりすぎて、関係性がひりひりしていたことも。

私がひたすら、ぽけーっとしていて、旦那さんが2人の子どもを育てることをすごく詳細に想像してくれていた。だからこそ、私の2人目の妊娠中に旦那さんの実家のすぐそばに引っ越した。



3人目の妊娠のフラグが立ちかかったとき。

1人目の妊娠、2人目の妊娠とお互いの考え方や温度感がずっとかみ合ってこなかった私たちが、初めて、ぴたっと合った。まるでジグソーパズルのピースのように。

まるっとそっくり同じというわけじゃなくて、根本の考え方の方向性は同じ方向を見ていて、それぞれが得意なところしっかり考えていた。

心地よくぴったり合って、お互いの気持ちがなんとなくわかる。行動の意図もわかる。初めての感覚だった。

「あ、きっと、これから何があっても、この人となら乗り越えていける。」

そう思えた。




結局、3人目はいなかったわけだけど、1人目2人目を経験して夫婦間の「あ、なんか大丈夫」って思えるベースがやっと出来上がってきたんじゃないかな。これを信頼と呼ぶのかな。

結婚して、まるっと5年が経った。

まだまだお互い知らないこともあるけれど、このパートナーなら背中を預けてもいい。そんなふうに思えている。



という、記録。




明日もいい1日になりますように。


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神田ちあき|保育士ママライター
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