勉強が嫌いになるわけーpart1 意味不明な分類を覚えるように強制してくる
勉強が嫌いになるわけシリーズ その1 いってみよー
「意味不明な分類を覚えるように強制してくる。」そして腑に落ちて無いのに当然のものとして先に進もうとする。
これあるあるだよねー てか詐欺師とかインチキ営業マンのテクニックとも似てる。
これのせいで、もともと本当は賢い子供が、学ぶことが嫌いな人間にさせられてきた。そして自分は勉強ができなかったと思わされてきた。
〇典型例
教授・先生・教科書など「~~とは、~~と~~と~~で構成されている。そして①~~は」
抑圧された心のツッコミ↓↓
((そして~~じゃねえよw何勝手に進んじゃってんの? まずさ、「~~と~~と~~である。」のとこからして既に納得してねーよ。何のために3つに分けたの?証明されたから?便利だから?そして私たちがそれを知らなければいけない必要性は何? そういうのがモヤモヤしたままなのに何当然かのように進めてんの?))
そういった正常な反応をみんなで抑圧するのは次のような理由である。
どうせ質問してもしっくりきた回答が来ない予感がする。
目の前のセンセイもきっと分かっていない気がする。
それにしつこく食い下がれば逆切れされるかもしれない。
いつものことだから、いちいち食い下がっていれば自分の気力がもたない。
それに私だけが分かっていなくて恥をかくかもしれない。
みんなこうしてやりすごしてるんだ。それが社会なんでしょ。
指摘しても得もしないし、てかそもそも興味もないし。
ならもやもやするけど、このまま放置でいいや。
こんな感じでしょ?
結局、教科書ひとつみても、特に高校以上くらいになると、謎の分類度合いは増えていき、モヤモヤもそれに合わせて増えていく。
こういった謎の分類を、いわれたとおり記憶する人間が優秀な成績を取ってどや顔をしやすくなる。
素直にモヤモヤした人間は、当然なかなか頭に入らない。当然だ。頭に入れていいものかどうかわからないものを人間の身体が覚えたがるはずがないw
身体はそんな怪しいものを受け入れないようにできているのだから。
教える側の人間は、以下のことを徹底して知っている必要がある。
分類する必要性(便利さなのか、定義なのか、どういう視点で分類したのか、分類の必然性はどれくらいか 等)
これを教える際の分類事項について、全てのポイントで習熟しておく必要がある。
人間の感覚はそもそも、全体性を感じるようにできており、要素還元的思考というのは不自然なものだ。=受け入れにくいものであることを知っていたほうがいい。
それでも論理だとか思考だとか科学だとかの点で、それが必要とされる範囲で使われるものである。
その必要性を同時に腑に落とせない人間が、分類をしたりそれを誰かに押し付けること自体が、土台ハナシにならないことを知っておきなさい。
ちなみに、現代もみなさんを苦しめる、謎の分類をしはじめた、分類したがりおじさんには元祖がいて、彼の名はアリストテレスさんといいます。