目立つ表面的ミスと目立たない奥の愚かさ。もぐら叩き合戦の行く末
目立つ表面的ミスは叩かれ、つっこまれる。
目立たない奥の愚かさは、気づかれず、つっこまれない。
この世の中では、あらゆる物事にそれが起こっている。
仕事、家庭、集団、遊び、ギャンブル、人生そのものに至るまで。
非常に分かりやすくそれが表れているものが、ギャンブル特に麻雀だろう。
本当はより多くの人が携わる仕事を例に説明したいが、麻雀のほうがより
例えとして適切なので、麻雀を知らない人には申し訳ないが、それを題材に書いていく。
麻雀というのは、とにかく、
というか、麻雀に嵌る人間は大体とにかく、最初、面白いくらいに自信過剰である。勿論、私を含めてだ。
上手くなってくればくるほど、自分の打ち方も、他人の麻雀を見るときにも、クチを出すときにも慎重になっていく。
逆に、ずっと上手くならない奴というのは、いつまでも慎重にならず、いつまでも自信過剰で、いつまでも自分の浅い正しさを疑うことが無い。そして、他人の麻雀にズカズカとクチを出し、表面的かつ的外れである。
強くなればなるほど、自分に見えていないもの、見落としていることがあるのではないか?という慎重さが強くなっていく。
運でどうしようもないと思っていたものが、実は、運を受け入れる事前準備で、思っていた以上に変えられるのではないか?と思えてくる。
すると、過去に当然だと思っていた選択肢が当然ではなくなり、
この1手の最適解と向こう3手の最適解が時に違うことや、
対戦相手の挙動によっても大きく変わることの「重さ」を知るようになる。
軽々とクチを出したがる奴は、だいたい1手しかみていない。
より正確にいえば、確実に客観的に証明できるもの(パターン分け、確率、期待値等)だけを根拠にしている。
それから外れているのを目撃すると、水を得た魚のように嬉々として他人に指摘する。
確かに、それらは大事だし、基本ともいえるものだ。
かといって、そこから外れたものは全て間違いだとか、指摘されるべきものであるという考えは、不完全な原理主義に似た、愚か極まりないものである。
結果、どんな変化が起こったか?
麻雀界を10年以上みてきた結果をみると、結局のところ、利と理にこざかしい口うるさい奴が増えただけであった。
それはミスだよ人間がウジャウジャと増殖し、堅苦しく、つまらなくて底が浅いものになった。
新しく始める人間が楽しいと感じる要素が減り、
くだらないちょっとしたことに突っ込んでくる気持ち悪い奴ばかりが増えた。
しかもそのツッコミは、役に立たないし、底が浅いし、何よりツマラナイ。
しかし、現実問題として、増殖するそういう連中に対応しなければならず、そういう中である程度評価されなければやっていけない。
結局のところ、クリエイターは表面的なミスを消すことの優先順位が上がっていく。
それはそれで小さな成長だということもできるが、必ずといっていいほどそんな小さな成長では釣り合いの取れない弊害が伴う。
多くの場合、「目立たない奥」を良くしようとしたり、何手か先を良くしようとすると、ヴィジョンを持つと、目立つ社会的・常識的・表面的・知識的ミスが一見増えたように見えたり、目先の一手に根拠がなさそうに見えるものなのである。そして、上手くいった場合にも運のおかげで片づけられてしまう。
これは格好の攻撃しやすい対象である。
ここが問題で、つまるところ、
素晴らしい価値をもたらすには、表面審査員/気持ち悪い奴/浅い人間/怨念人間/ゾンビ たちからの誤解・無理解・攻撃にさらされる という構造になっているのだ。
ゾンビ対策をすると、クリエイターの創造性が腐り、ゾンビ対策をしないと激しいゾンビの群れからの攻撃に遭う。
なんという不毛な構造であろうか?
(大局的にみれば、西野さんよく言うことと趣旨と似ているなと、書いていてふと思い出した。この動画のこの部分とか)
補足するが、ミスを教えること自体は悪いことではない。
それが適時適切で、相手が望んでいて、成長に繋がり、それを見ている人も楽しくなるなら価値がある。
その逆だから問題なのだ。
そのミスの指摘は、適時適切どころか、聞いてもいないもので、望んでもいないもので、成長にも繋がらず、それを見ている人も楽しくならない。
つまりその正体が、難癖であるというところが問題なのだ。
正しさを装った難癖である。
根拠らしきものを纏い、言う側に正当性があるように装った、難癖である。
アドバイスや善意や真実性のように見せかけてはいるが、その正体は、様々な豊かさを破壊する方向にしか物事を進めない腐敗臭のする怨念である。
まとめ:
浅い知恵、浅い正義、表面的な正しさ、形式的なあらゆるまともさは、ゾンビの巣であり、温床である。
そこから逸脱すると、ゾンビが寄ってたかって殺しにくると知れ。
まともなものの芽は、ゾンビどもが、初期段階で腐らさせていると知れ。
ゾンビ共が振りかざす、知識と正しさ、その目的は怨念であることを知れ。
まともな者の目からみると、この世はまだゾンビの世界である。
己がそれに加担していると気づいたものだけが、足を洗えるのである。