豊かな土壌はどうやってできるか
不毛な土壌が豊かな土壌に変化する推移
50年住んでいた隣の主人が亡くなり、取り壊しで更地になった。
そのとき、袋地になっていて我が家含め4方の家に囲まれた土地も同時に更地になった。そこも隣の主人の所有地だった。
なぜそういう袋地になっていたか?は登記で流れを追う限り、戦後そのあたり一帯を所有していた人の分譲までさかのぼるようだった。
ともかく、そのように空いた袋地は、普通に買い手などつくわけもない。
かといって、放置すれば、その土地が殺風景なまま残ってなんだか落ち着かないし、我が家から見た景観も損なわれてしまう。できればご近所さんみんな気持ちよく、いい景色にしたほうが良いに決まっている。
まあ、遠い将来、売る必要がもしでてきても、合筆するかしないかは別として我が家と合わせて売れば土地の形状も悪くない。そういう将来の行き先も含めて考慮し、私が買うことにした。
袋地だったので、実質の価値はタダのようなものだが、お隣さんの引っ越し&最近立ち上げたらしい介護事業の事業資金として、同業の応援の意味を込めて100万円を渡すことにした。 ご近所さんからは2つ返事でOKが出た。契約時にはめちゃめちゃ喜んでいたな。
そうして更地で受け渡された土地、草一本生えていない土地だ。都市部の住宅地のど真ん中の土壌で元々ちゃんとした畑だったわけでもない。
1年目は、スギナしか生えてこなかった。
不毛な土地にはスギナが生えると聞いていたが、本当にそうだなー不思議だなーとみていた。
2年目は、相変わらずスギナが強い。数は3倍くらいに増えている。そこにイネ科のあまり大きな実をつけない植物が安定して生え始めている。
この頃から、スギナ+イネ科の2強の隙間から、季節の移り変わりに応じて様々な植物が混ざるようになった。
日陰にはフキ、ドクダミ、境界ブロックのヘリにはオニアザミ、夏至ごろからはどこからか飛んできたチューリップ、名前の分からない植物もたくさん出てきた。
自然に深い造詣のある父と、肥料や除草剤は使わずに、できるだけ自然に見守りながらやろうということを話した。
それでもまだ、土壌を観察しても生き物はあまり見つからない。
雪も降りそうな秋頃には、枯れて倒れた植物の茎をスコップで叩き切って、土壌に回収されやすいようにしておいた。翌年まで稲わらのようなものが残りすぎている気がしたからだ。
3年目くらいからは、春真っ先に庭一面に生えてくるスギナを、勢いを少し抑える意味で、気持ち減らすように、「根切り」をした。根から切らねば数は減らない。5月頃、ツクツクボウシが終わってスギナが生えてくるタイミングで何回か根切りをした。あまりに繁茂して隣の土地に地下茎が伸びていくこともそろそろ防がねばならない。
必要かどうかも確信があったわけではないが、なんとなく、父も私もそろそろやったら生態系のバランスがよくなりそうだな、という感覚が共にあったので、2人がそう感じるならそうしようと、いうくらいの理由だ。
それも多少は功を奏したのか、前年より圧倒的に植物に多様性が出てきた。指数関数的に増えた感じがあった。
草刈りや根切りで勢いを押さえたのはスギナ、イネ科、オニアザミの3つくらい。
3年目の頃からは、名前を知っているきれいな植物が生えてくることも増えた。土の中の生き物も増え、土を掘り起こすと大きなミミズも見つかる。雨上がりの土を起こすと、こまかい根が土と合わさって玉のようになり、保水しているのがわかる。土の質も3年前とは全然違うように感じる。
無機質が有機質になってきている感じ。土自体は「生きて」はいないが、生き物をはぐくむ生命力が増しているという感じかな。
こうして、肥料をやったり余計な手を加えなくとも、植物と土は合わさって豊かな土になっていくのだな、と感じた。
3年目からは少しずつ、人間が植えたいものを植えるようにもなった。あくまで、人間の浅はかな知恵ではあるが、植物の適正(日の当たり加減や周囲の植物との相性や植える時期など)を最大限考慮して、一番ふさわしい場所に植えた。 ありがたいことに、どれも思ったとおりに育ってくれ、なんだか生態系に認められた気分になったりしたものだ。
4年目以降は、だいたい同じ位置に同じ植物が生えてくるようになった。植物同士でもポジションが安定してきたようだ。
面白いのは、同じ場所で、春に生えて夏に消える植物の後に、夏に生えて秋に消える植物が生えてくるということが結構多いということ。植物同士が(おっし今年も生きた!俺は枯れるから後この場所使ってくれ!)みたいにw「バトンタッチ」しているように思った。
根のほうはどうなっているんだろうか。混ざったり共生したり、ある植物の後は、どの植物が生えやすい、とか、多分解明されてない法則があるんだろうな。
こうして現在7年目になるが、土壌の生物、植物の種類の多さ、出産する野生の猫、こうもり、鳥、昆虫、庭の景色の良さ
よく都市部の家1件もたたないような袋地に、これだけの環境ができたものだと、父と酒を飲みながらよく話す。でも内心2人とも、自分たち2人ならそういう庭になってくれるんじゃないか?という予感もあってのそれ。
それはよく手入れされ、うまく回っている理想の里山のようだ。
余計な事はなんもしてないんだけどな。
結局のところ、自然は自然に豊かになるのであって、人が余計なことをしてぶち壊していることがほとんどである。
肥料をやりたいだとか、耕したいだとか、虫を駆除したいだとか、他の土を混ぜたいだとか。 上っ面の知識を使いたくなり、見当違いなことをして、自己満足し、自分が土や植物をコントロールし打克った気になって悦に浸っているのである。
かといって、全く興味も持たず、ただ放置すれば全てよくなるか?というとそうでもなく、多くの場合「強い」植物がその土地にのさばって支配してしまい、バランスが崩れてしまう。経験上、そうして特定の植物に偏った土地というのは、だいたいの場合、誰にも目を掛けられていない愛情不足の土地である。そういう土地を見かけると、その不自然な偏りを感じてなんだかぞっとするものだ。
人間が「目かける」、畏敬をもって「観察する」。そしてたまにふっと「気づく」。それを、「余計なことしてないかな?ちょっとだけ手を加えてみようかな」という謙虚な気持ちで、その土地や自然に臨むとき、その土地は豊になる、と経験上いえる。
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