所有の終焉。著作権・特許等の終焉。審判のときは近い
ここ数十年で言われて進んできた、所有から共有への流れ。
それの集大成がそろそろ、起こる。
著作権の終わり、特許の終わり、そして所有の終わり、だ。
かつて、「創作意欲を守るためのもの」と謳われてできた、「特許や著作権」だが、それの前提ごと崩れようとしている。
かつての前提・論理構成はこうだ。
(自然状態では)「何かを作ればすぐに他人に盗られる」⇒「法や威力等で守って」⇒「富を積み上げられるようにし」⇒「個人の幸福の増大+社会を成長にみちびく」 という建前であった。
それはある程度機能してきた。
だが現在起こっていることはこうだ。
「本当に価値あることは形のないものだったり証明が難しいものである」「法等で守っているものは外形的な富や価値、つまりほぼ金である」⇒「金の計算をした結果、大企業等が金のために法を濫用し、法から逆算して行動し」⇒「本質的ではないものに権利を設定し」⇒「権利を設定できない本質的なものを圧迫するとともに、法のギリギリまで権利を侵害しあい」⇒「あろうことか創造意欲やその大前提の自由を奪っている」
その先端が、ワクチンとか種苗法まわりで起きていることである。
それをさらに俯瞰でみれば、結局のところ、
「見えていない者が」 「楽に確実に卑しい方法で」「分不相応な富を得たいがために」「ずるをして」いるから、起こっている というだけのことだ。 所有の暴走とでも呼ぼうか
これは何も経済面だけで起きているのではない。結婚などでもそうなのだ。
そこまで来てしまった世の中が辿る道は一つしかなかろう。
所有に関する価値が大幅に減る。
所有が暴走している見えていない者は取り上げられ、蹂躙され、裏切られ、壊滅し、絶望するだろう。
所有と軽やかに付き合い、見えている者は何も困らず、これまでどおり生きているだけで自動的に価値が上がっていく。
そういうことが必然的に起こるであろう。