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  このブログは、
  「生涯、荒唐無稽!」を掲げ、
  ジャーニランという200~500kmを走る
  というクレイジーなレースにおいて、
  その最高峰を目指すとある男の実録である。

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■ 小江戸大江戸260kmの上位入賞!を目指して孤軍奮闘中!です!
皆さんの応援&支援よろしくお願いします!

-本番まで、あと71日!!!-



■ 去年のことですが、
「その通りだよな」と思った文章があります。
それは、糸井重里さんが発信している、
ほぼ日の「今日のダーリン」での一節。


『もしもピアノが弾けたなら』という歌について、
 ぼくは「それはどうなんだろう?」という立場だった。
 西田敏行さんのことは、大好きである。
 どれだけよろこばせてもらったかわからない。
 そして、作詞の阿久悠さんも尊敬する作詞家である。
 この人の作品で感心しきりというものがたくさんある。
 でも、この歌については、ぼくは気に入ってない。

(中略)
 
「気に入ってない」理由は、すっごく明解だ。
 「弾けたならとか言ってないで、弾けよ」である。
 ま、いますぐ弾くというのはむつかしいかもしれないが、
 いますぐ練習すればいいじゃないかと思うのだ。
 この曲が発表されたのは1981年である。
 西田敏行さんは1947年生まれだから、当時34歳だ。 
 「だけどぼくにはピアノがない」とか、
 「きみに聴かせる腕もない」とか、
 「思いのすべてを歌にして」とか言ってないでさ、
 そんなに、ピアノさえ弾けたらと思うのなら、
 いますぐピアノをやれよ、と腹が立ってくるのだ。
 本気で(!)ピアノってものが大事だと思うのなら、
 そんなに「きみ」への思いがたっぷりあるのなら。

原曲はこちら

■ まさにこの言葉通りですよね。
「○○をしたい」と言いながら、
その一方で「あれがない、これがない」を言い訳にして何もしないのなら、実現するわけありません。
「もう年だから」と、時間がないことを言い訳にするのも、ここでは通用せず、
楽曲発表時にまだ30代半ばの西田さんであれば、なんでもできるはずです。
いや、50代であれ、60代であれ、
年齢を理由に諦めることは、「人生を諦める」ということではないでしょうか(まだ40代の僕が言っても説得力はないかもしれませんが)


■ 翻って、私たち自身にも同じことが言えます。
「何かをしたい」と思った時に、
二言目には「ーーだから」と、やらない理由を並べていても何一つ成し遂げられません。やればできることも、やらないとできないままです。

「お腹が減った」「パン食べたい」と、口では言っているのに
「トースターで焼くのがめんどくさい」「バターがない」「買いに行こうにも外は寒い」だのを言っていては、食べられるパンも食べられないままです。
親鳥が雛に餌を与えてくれるのは、飛べない雛の間だけです。
もうみなさん、飛べない雛ではないですよね?
ちゃんと頭と手足を動かして、餌を自分で取りにいけますよね?


■ 「今年はあれをしたい」「これをしたい」と目標や願望があるかと思います。「もしも○○なら〜」と他人任せするのではなく、
自分からその願望を叶えにいくスタイルへ。

2025年も残すところ、あと364日です。
僕自身も、自分が望む年末の姿に一歩でも近づくために、今日は外出します。12月末に「今年もよく頑張りました!俺(私)!」と胸張って言えるように、今、動きましょう!

今日もお読みいただき、ありがとうございました!


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