131th_朱に交われば"赤山"になる
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このブログは、
「生涯、荒唐無稽!」を掲げ、
ジャーニランという200~500kmを走るというクレイジーなレースにおいて、
その最高峰を目指すとある男の実録である。
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■ 昨日、電車に乗っていると、
30代くらいのサラリーマンが隣に座り、
ケータイでゲームや漫画に熱中していました。
朝の通勤時間で、会社に行くまでの移動時間の合間に、
必死になってプレイしていたんでしょうね。
ゲームが終わったかと思うと、漫画アプリを開いて高速でスライドさせていましたから、通勤時間を存分に満喫しているんでしょうね。。
僕も過去にはケータイのゲームに7-8時間/日ぐらい熱中していた経験があるので、ハマってしまう感覚はなんとなくわかります。
ゲームのこと以外考えられなくなるんですよね。
1分2分の隙間時間でもプレイしたくなって、
ケータイを取り出して、指が勝手に動きアプリを開く。
そこからは時間ギリギリまでプレイし続ける。
こんなことは日常茶飯事でした。
単にプレイするだけでしたが、今思うと、相当脳へのダメージがあったように思います。実際に、ゲームを辞めてからの日昼の眠気は格段と下がり、身体的な疲労感もかなり楽になりましたからね。
■ 今読んでいる本の登場人物(中学生)が、学校の先生から、
「夢がない人は、とにかく今、
目の前のことに一生懸命になってみろ、がむしゃらに打ち込んでみろ。」
「今、目の前の人を笑顔してみようと、思ってみよう」
と言われる一幕があります。
本当にその通りの言葉だと思います。
中学生の主人公に向けての言葉ですが、
夢がないのは先に書いた電車の中のサラリーマンもきっと同じで、
ただなんとなく日常生活を送っているように思います。
(あくまでも推論ですが)
■ 確かに電車の中のサラリーマンはゲームに熱中していましたし、
"一生懸命"なのかもしれません。
ただ彼に(そして昔の僕に)足りないのは、
「人と全く関わること」なんです。
ゲームや漫画には「誰かのために」が存在しないので、
熱中したり、必死になってやったとしても、成し遂げられることは皆無。
なんの価値も生み出さない。ただの自己満足なんですよね。
実際に、僕自身ゲームにハマっていた期間が約1年半あったのですが、
「ゲームをやっていたがために何かを成し遂げられたか?誰かに価値を貢献できたか?」といえば、何もないです。
忍耐力?意地?みたいなものはついたかもしれませんが、
それは誰かに価値や笑顔を生み出さないから、一円にもなりません。
(ホントなにやってたんだか、、、汗)
■ 翻って、僕が今取り組んでいるジャーニーランは、
価値や貢献もわかりにくいものだと思います。
三日三晩寝ずに走ったり、身体がボロボロになるまで必死に走ったりしていますが、そもそも走りたいのは僕自身の意志であり、僕自身のためであることは承知しています。
ですが、僕の荒唐無稽へのチャレンジを伝えることを通して、
僕と関わる人にプラスの痕跡を残せれば、と思っています。
どんなプラスの痕跡かは、人それぞれだと思います。
単純に「いいね!」の一言かもしれませんし、
「俺も(私も)頑張ろう!」かもしれません。
「背中を押された!やりたいことにチャレンジしていよう!」
と、その人の人生が変わるようなきっかけになれば本当に嬉しいです!
そこまで大きなことではなくとも、
僕と関わり、少しでも僕が持っている"熱"を受け取っていただき、
変化変容のきっかけになれば、と。
ということで、今日も全力で走り抜けます!
■ ジャーニーランの応援ページはこちら↓
今日もお読みいただき、ありがとうございました!
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