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このブログは、
「生涯、荒唐無稽!」を掲げ、
ジャーニランという200~500kmを走るというクレイジーなレースにおいて、
その最高峰を目指すとある男の実録である。

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■ 沖サバを明日に控え、ゆっくりした朝を迎えています。

今晩の飛行機で沖縄に飛び立ちますが、夕方までは何もすることなく、
というより、眠ることが沖サバのために必要なので、
このブログをささっと(さっさ)と書いて寝ようと思います。

■ 沖サバという0泊4日の旅は、
明らかに日常とは異なる非日常の環境下に置かれます。
(少なくとも、僕にとっては)

沖サバのように、寝ないで長距離を走るのが日常の方も
中にはいらっしゃるでしょう。

毎週末、長い距離の大会に出ている人にとっては、
沖サバのような大会は日常的な事柄かもしれません。

他方、僕は日常的に玄米を食べるのですが、
これも、普段玄米を食べない人にとっては、
たまたま玄米を食べた人にとっては非日常なわけです。


■ 非日常だったことも、繰り返し行っていけば、
いずれそれも日常に変わります。

非日常が日常に、
非常識が常識に、
イレギュラーが普通に。

当たり前じゃなかったことを繰り返しているうちに、
当たり前になり、その人にとっての日常になるわけです。


裏を返すと、
非日常を求め続けても、いずれ非日常が日常になるのだから、
際限のないことになります。

余談ですが、
住環境を変えることが、
最も劇的な日常の変化を与えることなのではないでしょうか。


■ その一方で、

非日常は今までになかった経験を与えてくれます。

やったことなかったことを経験する。
それだけで、人は成長することができます。

大きな事柄でなくとも、
本を読んで新たな知識を得たり、
初めて会う人や旧知の人のより深い話を聞くことなどは、
大なり小なり自分の知見を広げる経験です。

非日常は、その「新たな○○」が宝庫である、というだけで、
「新たな○○」は日常の中に潜んでいます。

結局は、それを意図的に取りにいけるか。


「新たな○○」を重ねていけば、
5年後、10年後、全く違う自分に変わっているはずです。

昨日の投稿にも書きましたが、
成長期を過ぎた人が、それ以降に成長するか否かは、本人の意思次第。

より成長したいと願うのであれば、
積極的に「新たな○○」を取りに行ってはどうでしょうか。

何もしなかった5年10年よりも、
色濃い人生を経験できるはずです。


まとめ

  • 沖サバのような非日常を求めても、
    経験を繰り返すことで、いずれは非日常も日常に変わる。

  • 非日常はより多くの新たな経験を運んできてくれるが、
    日常の生活の中にも選択肢によっては新たな経験ができ、
    それが成長につながる。

  • 新たな○○を重ねることで、5年後10年後に全く違う自分になる。


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