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志賀直哉を読んで(下)

志賀直哉「和解」を読み終わりました。
いやぁ、心理描写や情景描写が
とても巧みだなと改めて感じました。

どの場面を読んでも、
その景色や登場人物の表情、動きなどが
ありありと浮かんできます。

ところで、和解っていつごろ
書かれたのだろうと思い、
調べてみると、
大正6年でした。
なんと105年前です!

テーマは、作家である主人公と
その父との不和です。
ただ、何が原因で不和になったのかは
最後まで記されていません。
解説者やネット上での解説では、
「あえて書いていない」という
論評がありました。

書いてしまうと、
どうしても主人公よりの
話になってしまい、
父親の気持ちが十分に読者に伝わらず、
フェアではないと
志賀は考えたとみられる
ということでした。
なるほど~~。

不和の原因については
読者の想像にゆだねることにした
のでしょう。
書いてあった方が分かりやすい
という見方もあると思いますが、
あえて触れないことで、
作品に深みが生まれているとも
いえますよね。

小説だけでなく、
物でも人の性格でも、
同じなのかもしれません。
隠された部分があることで、
人々は逆に見たいという
欲求が高まりますよね。

巧みな描写だけでなく、
大胆に書かない部分もつくって
作品を完成させるところが、
志賀直哉が小説の天才といわれた
所以なのかなあと感じました。


志賀直哉(口ひげの男性)イケメン?右隣は奥さん

個人的に印象的な場面があります。
少しだけ、小説の中身に触れますね。

最初の子どもが病死しますが、
この部分に結構な紙幅を割いています。
そして、主人公も妻も
悲しみに打ちひしがれ、
死後、しばらく経過してからも
心の傷が癒えない様子が
じっくり描かれて
います。

作品が発表されたのは大正時代です。
子どもが亡くなるのは、
現代とは比べ物にならないほど
多かったと思います。
ある意味、「日常的」だった
ともいえると思います。

しかし、子どもが亡くなる
ことへの深い悲しみや、
喪失感は現代とまったく
変わらないんだなと
感じました。

前回、
妻が主人公の夫から飛ばされた
場面を紹介しました。
かと思えば、
後段では人目をはばからず、
妻の額にキスをする場面も
出てきます。

現代でも「この状況でキスは
なかなかしないなあ」と
思う場面ですよ(笑)

当時、男子たるもの、
そんな行為は「破廉恥」と
考えられていたのではないかと
思うので、
志賀直哉はずいぶん、
進歩的な考えの持ち主だった
のではないかなあと感じました。

100年前に書かれた
この作品を現代と
比較しながら読み、
「当時はこんな様子だったのか」
とか、
逆に「今とまったく変わらないな」
という発見があり、
とても新鮮でした。

「和解」が発表された3年前には
「大津順吉」という作品、
和解の3年あとには「或る男、其姉の死」
という作品が発表されています。

解説者によると、
志賀直哉はこの3部作について
「一つの木から生えた
三つの枝のようなものである」と
語っているそうです。

解説者自身も、
この3部で作品が成立していると
分析しています。
残りの2部も
読んでみようかな。

志賀直哉にハマりつつある秋の夜長…。

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