阿賀町の縄文時代中期中葉は、東北会津の土器で埋め尽くされている。でも、火焔型土器や北陸系土器に出会った~。
6施設共催企画展「地味にすごい!下越の縄文時代」についての各施設でのワンポイント解説です。
今回は、阿賀町郷土資料館の展示を。
読んでもらうと、展示をより楽しめるかなと思います。
阿賀町の縄文中期の土器
阿賀町の縄文時代中期の土器は、会津地域の影響を受けた土器が主体となります。
大木7式土器や大木8式土器という土器型式名でよばれている土器です。
大木7式土器
大木式土器は、宮城県七ヶ浜町大木囲貝塚から出土した土器の特徴から土器型式として用いられています。ここで紹介する大木7式土器、8式土器は縄文時代中期中葉、約5000年前の土器群です。
大木7式土器
大木7式土器は、平らな口縁で、受口状に広がる上部と筒状の胴部になる器形が特徴的です。
口縁部には、立体的な突起が貼り付けられています。
文様は、この器形に影響されるように、上部と筒状部分に分けられます。区切りになるように横方向の突帯(粘土を貼り付けて盛り上がった線)が施されています。
文様は、上部と筒状部分ともに、粘土紐を縦方向に貼り付ける表現をします。粘土紐に刻みを施しています。粘土紐は、直線だけでなく、先端部がカーブする文様もあります。また、線を2本にもしています。
大木8a式土器
前段階の大木7式土器と基本的な特徴は変わりありませんが、
変わった点として
突起が大きく、立体的になる点
上部と筒状部分の境があいまいになる点
文様の先端が渦巻になる点
粘土紐にそって沈線が施される点
が挙げられます。
突起や文様が凝ったものになると新しいということです。
変わらないところもあります。
文様帯(文様を施す場所)が上部と筒状部分の2ヵ所である点
筒状部分の文様が縦方向のデザインである点
阿賀の土器は、日本海側の土器に出会う。
阿賀町は新潟県最東の町です。山のほうなんです。そして、下越の母なる川、阿賀野川の上流に位置します。この阿賀野川、南会津のほうから流れてきており、阿賀川と呼ばれています。阿賀の土器は、阿賀川の川の流れのように会津との関係を示していたのですが、
ええ、その逆もあるのですよ。日本海側からものぼってきていたんですよ。土器が。
阿賀野川をさかのぼる火焔型土器
縄文時代中期中葉、新潟県の土器と言えば、そう、火焔型土器。
いつも一緒の王冠型土器もあります。
なになに?鶏頭冠把手がない?
(´∀`*)ウフフ でも、火焔型土器とわかる特徴があるのですよ。
鶏頭冠把手の割れ口とか、鶏頭冠把手が配置されないところには眼鏡状突起か袋状突起があるとか、鋸歯状口縁になっているとか、火焔型土器は火焔型土器の特徴があるので、そこら辺から火焔型土器か王冠型土器かが判別されています。
出会った土器が入り混じった~。
阿賀の土器には、ひとつの土器の中に、各地域の文様の特徴が表現されています。このような土器を「折衷土器」と呼んでいます。
阿賀町の土器の中には、大木式土器(東北)の要素、火焔型土器の要素、新崎式土器・天神山式土器(北陸)の要素が盛り込まれています。
大木式土器の特徴としては
粘土紐貼り付け
縄文施文
火焔型土器の特徴として
筒状胴部の縦方向のカマボコ形の隆起線文にところどころ90度に曲がって隣の隆起線文にぶつかる
北陸地方の土器の特徴として
文様が斜め下方向にのびる構図
爪形文
R字状のカマボコ形の隆起線文による縦方向の区画線
といった文様要素が、ひとつの土器の中に、認められます。
日本海側の土器が、阿賀町に、ただ、持ち込まれたというよりは、阿賀町の縄文人、会津など東北の縄文人、阿賀野川下流域の縄文人、北陸の縄文人がそれぞれ阿賀町に集い、土器づくりをして、地元の文様の中に自分の出身の文様を組み込んでいくといった縄文物語が思い浮かんでしまわざるを得ません。
もっと詳しい説明は、阿賀町郷土資料館の展示を見るといいですよ。詳しい説明・キャプションがあるので、すっごく分かりやすいです。
そして、質問すると、もしかしたら、その答えが、キャプションとして展示に使ってもらえるかも。
阿賀町郷土資料館の企画展を楽しんでもらえたら、うれしいです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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