中国史四大美女 西施 (記事62)
中国史における四大美女は
西施(xī shī)
王昭君(wáng zhāo jūn)
貂蝉(diāo chán)
楊貴妃(yáng guì fēi)
といわれています。
今回は西施についてちょっと書きます。
といっても、西施の物語はとても有名なので、今さらここで詳述したところで、興味がある方は既にご存知だと思いますし、興味がない方にとっては、長文を読むのも面倒だと思いますので、詳しくは書きません。
すごく簡単に紹介すると、中国の春秋時代末期(紀元前500年頃。日本は弥生時代)、東南地方で呉と越という国が覇権を競っていて、越王が呉王を堕落させるために送ったのが美女の西施です。結局、呉王は驕慢、過信、油断といった諸々の要因によって国を滅ぼしてしまいます。
この呉越の争いは「臥薪嘗胆」の故事でも知られています。
ところで西施は、以前も触れましたが、恐らく戦国時代(春秋時代より後の時代)に造られた虚構の女性です。越王が呉王に送った美女は一人や二人ではなく、多数の美女が何回も送られたはずです。そういった女性たちが戦国時代に生まれた「西施」という美女に重ねられて、「祖国のために呉王を翻弄した傾国の美女・西施」という像ができあがったのではないかと思います。
西施の最後がどうなったのかは、諸説があってはっきりしません。そもそも後世に作り上げられた女性なら、「西施は自害した」「殺された」「無事に生き延びた」「幸せな余生を送った」等々、語る人によって結末が変わるのも当然です。
さて、ここで西施に関係する言葉を二つ紹介します。
浣紗(浣纱・huàn shā)
沈魚(沉鱼・chén yú)
「浣紗」の「浣」は物を洗うこと、「紗」は薄い絹織物です。「浣紗」は絹織物を洗うこと、または衣服全般を洗う洗濯を指します。
西施は故郷の川で絹(もしくは衣類)を洗っている時、越の将軍に見染められて、呉に派遣する美女に選ばれることになったといわれています。
今では、「浣紗といえば西施」というほど、「浣紗」は「西施」の代名詞的な存在になっています。
「沈魚」は文字通り、魚が沈むことです。西施が絹を洗うと、その姿があまりにも美しいため、川の魚も西施に見とれて泳ぐのを忘れ、川底に沈んでしまうほどだった、という意味です。
ちなみに、四大美女にはそれぞれその美しさを形容する言葉があります。
西施は今回紹介した「沈魚」、王昭君は「落雁」、貂蝉は「閉月」、楊貴妃は「羞花」です。
王昭君以下三人もいずれ紹介したいと思います。
最後に、西施には足が大きいという欠点があった、ともいわれています。
「沈魚」とは、実は川の魚が西施の大足に驚いて川底に逃げる様子を表している、という俗説(笑話の類)もあります。
今回は「浣紗」のイメージです。
中国の『伝統仕女図譜』という画集を参考にして、アイビスペイント(お絵描きアプリ)でiPadに描きました。