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中国史四大美女 実在したのは二人(記事57)

中国史の四大美女といえば、
西施せいし
王昭君おうしょうくん
貂蝉ちょうせん
楊貴妃ようきひ
の四人です。

私が知る限り、中国では以前からこの四人ですが、20年ほど前の日本では、王昭君ではなく、虞美人が入っていたことも多かったです。最近は虞美人が外されて、日本でも中国と同じ四人が採用されるようになったようです。

ところで、この四人のうち王昭君と楊貴妃は実在した人物ですが、西施と貂蝉は虚構もしくはそれに近い存在です。

まず、王昭君は西漢(前漢)の人で、北方の異民族・匈奴に嫁ぎました。国のために自分を犠牲にした美女です。
楊貴妃は唐の全盛時代、玄宗皇帝が夢中になった傾城傾国の美女です。
この二人は、いわゆる正史と呼ばれる歴史書にもしっかり書かれています。

しかし西施と貂蝉は、モデルとなった女性はいるものの、具体的な人物像は後世に造られたものです。
西施は春秋時代末期の人物ですが、『史記』『春秋左氏伝』といった古い史書には名前が出てきません。戦国時代になってから、諸子百家等の書を中心に、西施という美女の名前が見られるようになります。

貂蝉は東漢(後漢)末期、『三国志』の時代に呂布と董卓を離間させた美女ですが、史書である『後漢書』や『三国志』に「貂蝉」という名前は出てきません。史書が少しだけ触れている「侍女」が後世に肉付けされて、貂蝉像が出来上がりました。

ついでに、虞美人も『史記』『漢書』に登場するとはいえ、具体的な人物像はほとんどわかりません。現在伝わっている物語は、後世に造られた部分が多いです。

四大美女の半分が、モデルはいるにしてもほぼ虚構というのは、少し寂しい感じがします。でも、長く語り継がれる美女というのは、もともと虚構のような存在なのかもしれないです。

今回はイラストです。

中国の『伝統仕女図譜』という画集を参考にして、アイビスペイント(お絵描きアプリ)でiPadに描きました。



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