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「呂布」は苗字?(記事49)

最近、ヤフーのニュースで「呂布カルマ」という名前をちょこちょこと見かけます。
この方には特に興味もなく、ニュースの内容も私とは無関係なのですが、中国史が好きな私としては、やっぱり「呂布」に目が向いてしまいます。

この「呂布」って『三国志』(『三国志演義』を含む)の呂布ですよね…?

ということは、この人は苗字が「呂」で名前は「布」、「カルマ」は字(あざな)?
欧米的に、「布」はミドルネーム?
もっと斬新に「呂布」が苗字?
そもそも前衛芸術っぽく(「前衛」という言葉が古い気もするけど)、苗字や名前という概念を無視している?

私のように頭が固い中年は、どうも「呂布」が苗字なのか何なのか、気になってしまいます。

ちなみに、『三国志』の呂布は、
呂は姓
布は名
で、奉先という字(あざな)があります。
「字」は、現代中国語では「表字」といいます。

昔は人の名前を直接呼ぶことを失礼なこととみなしていたため、名前とは別に「字」を作って、それをお互いに使っていました。
なので、日本のマンガなどで「呂布さま」みたいに呼ぶシーンがあったら、ちょっとおかしいです。そこは「奉先さま」とか「呂将軍」とか、名を避けるべきです。
まあ、エンターテイメントにそんな細かいことを求める必要はないのでしょうけど。
ついでに言うと、「我こそは呂布奉先なり」とか、「私は劉備玄徳です」みたいな自己紹介もおかしいです。まるで「呂布」や「劉備」が苗字で「奉先」や「玄徳」が名前みたい。
自分の名前も直接口に出すのは避けて、「我こそは呂奉先なり」とか「私は劉玄徳です」とする方がリアリティがあります。

もう一つおまけに、名と字(あざな)には関係があります。
分かりやすいのは『三国志』の諸葛亮です。
諸葛は姓、亮は名で、字は孔明といいますが、名の「亮」は明るいの意味、「孔明」の「孔」は「深い、大きい」の意味、「明」はそのままです。つまり、名の「亮(明るい)」と字の「孔明(大いに明るい)」は意味が通じています。
毛沢東にも字があって、「潤之」といいました。
「沢東」の「沢」には「潤す」という意味があります。毛沢東の名は「東方を潤す」、字は「之を潤す」という意味があり、ここでも名と字が通じています。

それでは「呂布」の名である「布」と字(あざな)の「奉先」はどういう関係があるのかというと、よくわかりません。ネット上ではいくつかの説を確認できますが、どれも「ホントかなあ…」というレベルでした。
「呂布」の字がなぜ「奉先」なんだろう、なんてことを考えていると、「呂布カルマ」の「呂布」って結局何なんだろうなあ、なんてことにまた行きついてしまう、暇な中年です。

写真は『三国志集解』から呂布伝の最初のページです。

中華書局『三国志集解』

約1200ページで定価156元でした。中国はこういう本が安く買えるのでありがたいです。

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