嫌いな自分を受けいれるのは簡単ではないけれど
問いをみて、正直ウッとなった。
ここ1〜2年は、自分を整えることに専念していて、誰のために?みたいな観点をあまり持たずに過ごしてきた気がする。
何度この問いとにらめっこしても、答えは浮かばない。
ただ、この問いの答えがより具体的になったとき、勢いよく走り出せると感じた。この問いをもらえたこと、既にありがたいなぁ。
じわじわ湧いてくるのは、2023年はこの問いとともに過ごすんだろうということ。「自分がどう在りたいか」を考えたとき、誰とともに生きるか、誰に対して影響を持ちたいかにもつながってくる。
自分が在りたい姿でいるとき、どんな人に影響をもたらすだろうか。
全体性で巡るエネルギー
問いを頭に浮かべて数日間過ごし、ようやく浮かんできたのは、
「"弱い"部分を、隠したり否定したりしてしまう人たち」だった。
自分がいたら迷惑かけるかも。
こんなこと正直に言っても伝わらないから、やめとこう。
いつもうまくいかない自分が嫌いだ。
そんな風に自分を否定してしまう人たちが、もっと気楽になれる。自分の弱さを人にさらけ出せて、自分の一部だと受け入れられるようになって欲しいと思った。
点数がつけられる社会の中で生きていると、出来るだけ"評価が高そうな自分"ばかり見せようとしてしまう。
きれいな部分だけを見せよう。
失敗や苦手な部分は、全部なかったことにしよう
そんなことを繰り返していると、自分の中に好きな自分と嫌いな自分が生まれる。でも、僕が思うのは、自分の"キレイ"ではない部分も、立派なその人の一部だということ。
一つの木の葉っぱは、どれも似た形と色を持っているけれど、大きさが違えば、ギザギザの数も違う。人によって規則正しく揃った形の葉が好きな人もいれば、不規則な形が好きな人もいる。みんなが"100点満点"の、同じ形や大きさや色をしていたら、きっとその世界はすごく退屈だと思う。
確かに、自分の"ネガティブ"と感じている部分を人に伝えるのは、怖いししんどい。「受け取ってもらえない」って思ってしまうかもしれない。
でも、その言葉を受け取ってもらったとき、それまで「こんなの自分じゃない。切り離したい」と思っていた自分を、それも自分の一部であると認められた感覚になれると、抑えていたエネルギーが身体全体に巡り、溢れ出してくる。
だから、弱さを出せずに押さえ込んでいる人が、弱さをさらけ出せる環境を作っていきたい。もちろん強制はしないし、その人たちの身ぐるみを無理にはぎ取るようなことはもちろんしない。でも、この感覚を伝えたいし、信じたいと思っている。
自分も道半ばだからこそ、共に歩むことができる
ここまで書いて、綺麗事を言ってしまってるかもしれないなぁと思った。
自分だって当事者だ。確かにそんな世界があったらと願っているけれど、抑え込んでしまう気持ちばかり。「影響を与えたい」と言っても、別に自分が先に進んでいる訳でもない。評価される社会では、怖いなって思うときも、たくさんある。
でも、だからこそたくさん考えてきたし、伝えられることがあると信じたい。
自分も道半ばだ。100%出来なくていい。
そんな感覚を、自分自身に対しても持っていたいし、自分自身がその在り方を実践することで、周りの人にも「そうやって過ごしていいんだ」と思ってもらいたい。
自分が当事者だからこそ、今の生の感覚で共感しあうことができるんだと思う。そんな影響をもたらすことができればと思う。
*
言葉にしてみてしっくり感はあるものの、まだ抽象的な気がする。
2023年はこの問いと向き合って、もっと具体的な言葉に落とし込むチャレンジしてみたい。
その人たちは、もっと言うとどんな人たちなんだろう?
どこにいるんだろう?
どんな関わりができるだろう?
自分自身向き合えていない弱さだらけだと思うので、
変わらず探究をつづけていきたいなぁ。