アクティブラーニング

2010年代前半から「アクティブラーニング」がもてはやされています。
文部科学省を含めて、本当に判っている人がどのくらいいるのか?
かなり怪しいのではないかと思います。

「リストラ」という言葉が好例なので、あえて解説しますが、
リストラは本来re-structure-ingで直訳すると「再構成すること」。
目的は「不採算部門から成長部門へ資源を集中させる」ことです。
その中の過程で余剰人員が出てきて、自主退職を促すことがありますが、
今では、おそらく「敢えて誤解して」人員整理をリストラと言っています。
昔のオイルショックの時の「合理化」と同じです。

アクティブラーニングの目的は「自ら学ぶ力の育成」です。
最初から「自ら学ぶ力」があるわけではなく、
そこは教師が養う必要があります。
学習指導要領の歴史を遡ると、
1971年学習指導要領(通称:46答申)の「現代化」要領が詰め込み主義と批判されたあたりからです。
1980年答申の「第一次ゆとり教育」となり、
1989年答申の「新しい学力観」があり、
1998年答申の悪名高き「ゆとり教育」では、
総合的な学習の時間というのが新設されました。
このあたりから「自ら学ぶ力」とか「生きる力」などが飛び交います。
2007年要領でも「生きる力」が強調されます。
そして今回の2017年要領で
「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」
として、能動的学習が提示されました。
その背景はすでに「ゆとり答申」から萌芽しています。
1998答申では
「いかに社会が変化しようと,自分で課題を見つけ,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力」
という言葉で出てきています。
それがなぜ「ゆとり」と批判されたのかを検証しないまま、
アクティブラーニングを推進したら、元の木阿弥でしょう。
テーゼとしては「主体的に云々」と言っても、
本質は「国の方針に従う」国民にしたいのだろうということは、
近年の内閣府の権限拡大にも顕れています。
こういう状況での「アクティブラーニング」は、
ともすると「教えない教育」(自ら学ぶ)になります。

教育には目標があり、それを目指して何が必要かを
段階的詳細化の手法で考えていく必要があります。
そうでないと「授業をしない塾」や「公文式」と同じです。
高校生くらいになれば「授業をしない塾」も成り立つかも知れませんが、
小学生の「公文式」は疑問です。

政府では2000年から、民間に職業訓練を委託して、
今までの公共職業訓練校ではできなかった講座を開講しています。
WebデザイナーやIT系人材の育成に力を注いで、
「成長産業へ転職」という目標を作ってきましたが、
受け入れ側の企業では、中途採用に求めるのは即戦力なので、
どうしても他業種からの転職は難しくなります。
そこで若年層にターゲットを絞ってIT系人材を育成する方向です。
訓練機関も人材紹介会社と手を組んで、
なんとか就職率を高めようとしています。

ただ、他業種からIT系を学ぶには、
基礎をしっかりと教育する必要があります。
私はよく自転車を例に出します。
自転車は漕ぎ出すときには勢いをつけないといけません。
それは自転車自体にはできないのです。
バイクもエンジンを動かすには
人間がペダルを踏み込む必要があります。

それが基礎教育です。
基礎教育から「能動的、自発的な学習」は困難です。
私が好きな言葉に
【根を養えば樹は自ら育つ】
があります。
根を養わずに樹を育てることはできません。
でもしっかりと根を張ったら、自ら育ちます。

若年層と言っても、転職組ですから、
それぞれの業界での経験があります。
それらの蓄積された知識、経験と、
新しく学ぶ知識を関連させることで、
教育効果を出すことができます。
認知心理学で言う「長期記憶」は、
深層学習(ディープラーニング)の構造があります。
今までの経験をITという観点で見ることができれば、
学習効果は上がっていきます。
それなしにアクティブラーニングだのディープラーニングだの
机上の空論でしょう。

同じ「人材教育」でも、新入社員研修と職業訓練は違います。
「新入社員」は、IT企業が適性を判断して入社させています。
でも職業訓練では、ITに適性があるかどうか判らない状態で、
職業訓練に申し込みます。
IT系人材に「育てる」ための方法から変わってきます。


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