ある通訳案内士の休憩時間 第三回 防災グローバルフォーラム
(この記事は姫路城の外国語ガイドが、インバウンド観光客に対して使えるネタや語学の勉強についておもしろおかしく書いているものですが、設定が分からないと訳が分からない内容になりますので、まず最初に第一回を読んでいただけると、それ以外の回をスムーズに楽しめるようになっています)
世界遺産、国宝姫路城。日本の城に少しでも関心があるものならば、この城が他の城と比べてどれほど訪れる価値があるか、多くを語る必要はないだろう。そして訪れるすべての人がこの城に様々な価値基準を置く。世界遺産に登録されたときの基準をおさらいしてみると、
・世界で類を見ない大規模な美しい木造建築である
・当時の戦い方、城の防御の仕方の工夫がそのまま残されている
・木造建築の修復の伝統が受け継がれている
さらには昨今のインスタ映え、桜の名所、観光地大阪と広島の間の立地、等々、世界中の人々を魅了してやまないのが、我らが池田輝政の生涯最高の功績、姫路城である。
池田「(*´∀`*)」
香川「照正!って言ってる場合か!」(注:池田輝政は姫路に来るまで照正という漢字を使っていました)
しかし、ガイドの香川氏が最近熱く語っていたのは、
香川「防災の仕組みがそんじょそこらではないんです。昭和の大改修時(1956〜1964)には天守群や櫓などあらゆる箇所にスプリンクラーが取り付けられたのですが、そのスプリンクラーが高品質で、通常どの建築物も発火箇所から上がる煙とその熱でパイプの先端が溶けて自動的に水が出るような仕組みになってます。ところがその先端部、早く溶けなければ放水が遅くなって火災が広がってしまう反面、通常時に何かのはずみで物が当たったら壊れて水が出てしまうというジレンマがあるようなんです。姫路城の先端部はそれが頑丈かつ繊細、触れても破損せず、温度には極めて敏感、価格も高価です。
城内には無数の監視カメラが設置されており、24時間体制で人がチェックしています。64画面が一度に見られるセンターが管理事務所にあります。普段は観光客が渋滞している箇所があれば、その原因を渋滞の発生箇所を確認して、適切な処置を現場のスタッフに伝えたりもしています。
探知機はそのまま市内の4つの消防局に直接繋がっており、どの探知機が反応したかによって消防車の配置が変わります。消防車が早く正確に配備されるように訓練も欠かしません。消火に必要な水が足りなくなることも想定されており、城のある姫山の向かいの男山(ここから見る姫路城はまた格別)の貯水池と地下のパイプで繋がっており万全。国宝となった昭和6年(1931年)にはその仕組ができていたというからすごいです。これはお城が当時陸軍の管轄だったからというのもあります。場内にも貯水池が数個ありますが、これらも陸軍が使用していたものです。
最後に敷地内数十メートルおきに配備されるホースは破損がないか毎日2回チェックしているようで、世界的な史跡の防災の権威がこれには脱帽したという逸話もあります。スタッフによる訓練はほぼ毎週行われているので、観光中何かあった場合は姫路城に限ってはスタッフの指示に完全に身を委ねてたらいいわけです。とにかく防災においてはどの遺産と比べても圧倒的にレベルが高いという。姫路市の絶対に燃やさない執念を感じます」
池田「なくなったら何もなくなるからねー(嘲笑)」
香川「播磨のことキライなの?」
今春のことですが、姫路市で世界銀行が主催する「防災グローバルフォーラム2024:自然災害リスクへの理解を深める(Understanding Risk Global Forum 2024)」が執り行われ、幕を閉じました。期間中は少し外国人観光客の数も増えたような気配で、香川さんの所属する姫路城外国語ガイド協会VEGA(以降VEGA)のメンバーも多く会議の出席者を案内したとのことです。
さらにはこの国際会議のサイドイベントとして、期間の最終日とその前日に兵庫県の各地に希望者のみの研修という名のバス旅行がありました。そしてVEGAは姫路城を選んだ旅行者の案内を担当しました。他の行き先として神戸への震災復興見学などがあったようです。香川さんも5人が参加する組の案内を務めました。
池田「それぞれ各国の防災を担うツワモノどものようだけど、身の為になる話は聞けたの?」
香川「それが、賢い人の、特に理系の人の英語の話って、聞き取って理解するのは至難のわざで、今回はあえてそれぞれの国で何をしているか、多くを尋ねずです」
池田「なんじゃそりゃ、ああ情けなや」
香川「日本語でも何言ってるか分からないのに、もうそれはその分野の背景が分からないと無理。通訳者じゃないんだから。それに僕の担当した組は1名がオーストラリアで、他4名は南米のコロンビア、ボリビア、プエルトリコ、ドミニカ共和国、みなさんスペイン語で話してたからもう案内もそこそこに写真撮って楽しんでいただきましたが」
池田「ちょっと何言ってるんだか」
香川「でしょ、輝さんの時代には存在しない国ばっかりで、こういった知らない語彙が多く入る専門分野の英語は、備えなしでは理解は不可能ということなの」
ちなみに香川氏はオーストラリアの参加者にはその目的を尋ねてみたらしく、しかし要領の得ない回答ですぐにその話は終わったという。来年ロンドンマラソンに出るから、スポーツイベントの安全性の講演を聞いていたのと、あとは一度日本に来てみたかったと。ちょっと意識の高い観光客であれば参加できるということなのか。
香川「ところで備前丸の火災については何か知ってるんですか?」
池田「もちろんソレガシはすでに死んどったから知らんといえば知らん。あれは明治時代の話だからな。ところがだ、ソレガシは死んではおったものの、それからも備前丸のソレガシの御殿で、まあいわゆる幽霊活動、略して幽活しとったから、知っているといえば知っている。おぬしには伝えにくいが、こう、生きている者とソレガシでは見え方というか感じ方か違うの」
香川「では死んだ者の目であの火災について教えて下さい」
池田「この年寄りに悲しい思い出を語らせるのか」
香川「享年50歳、精神状態がそのときのままであれば我々あんまり年齢変わりません」
池田「では。いずれにせよ今のような防火体制をあと数十年前にあらまほしきもんだったよね。であれば、あのたばこの不始末も探知機で瞬時に発見され、スプリンクラーや消防車で消すことはできたはず」
香川「やっぱりたばこの不始末だったの?」
池田「左様。ソレガシがそれまで300年間住まいとしていた御殿に火が付いたのを最初に発見したのは何を隠そうこのソレガシ。しかし幽霊の身では何もできないじゃん。ただ少しずつ燃えていく自分の住まいを、最初は狂乱し、その後は茫然と、眺めてることしかできなかったわけ。陸軍の馬鹿者たちは発見後も急いで火を消し止めようとはしなかった。やつらのひそひそ話によれば、数年前に熊本城天守も陸軍が燃やしたから、文化財保存という観点が広まるちょっと前のことで、わざわざ焼く必要はないが、燃えちゃったらしょうがない、宿舎でも建てようということだった。でも備前丸って登るのしんどいよね、ってことで宿舎にもならず。つい最近まで雑木林だったのを観光客のために整地して今のように何もない空き地となったわけ。今じゃ姫路城観光の佳境、天守を真下からのアングルで写真が撮れるのは歴史上この時代が初めてで、元来は御殿が邪魔でこんなに赤裸々に天守を見ることはなかったからね。これはこれで無し寄りのアリ」
香川「ポジティブですねー」
面白い話が聞けたのでこのくらいにしておくが、最後にもうひとつ。香川氏が案内したグループのうちの一人が、ガイド中に電話を受け、その後慌てて走って帰っていった。後で他のメンバーに尋ねると、防災フォーラムのいくつかの講演のスピーチを担当する人だったという。おそらく11時と1時(13時)を勘違いしていたとのこと。走り出したのは10時40分頃。姫路城の天守閣から会場であるアクリエ姫路までタクシーなど駆使しても20分はかかるが、その時点でサッカーコロンビア代表のユニフォームを着ていたから、ホテルに帰って着替えるとなるとおそらく遅刻したであろう。国際会議の講演を遅刻する気持ちたるやいかに。