ぼくの風景図会 「アララト山」
「狼がでるぞ」
と警官におどされた。
トルコ語で狼をクルトという。警官のおどしはクルトとクルド(人)を語呂あわせした悪い冗談なのだ。
夜になって丘の上はものすごく冷えこんできた。
岩場をさけて土のつもった場所に寝床をつくった。風はぴ たりとやんで、刃物のようにとぎすまされた空気が肺をつき ぬける。ぼくは身体を二つ折りするぐらい縮めた。
寒くて震えが止まらない。カバンの中から着古したシャツやズボン、くつ下や下着までひっぱり出して寝袋の中につめこんだ。足さきには特に厳重につめ込む。その上にありったけの新聞紙やスケッチブックをひろげて差し入れる。帽子を かぶり、シラフを頭まで引き上げてチャックをしめる。
「さ・さ・寒い!」といおうとしたが、歯の根が合わず、半分固まりかけの口からは「あ・わ・わ・わ…」という言葉 にならない声がでた。
まっ暗なシラフの中でぼくは握りしめていたチーズをひと かけ口に入れる。味がしない。
それでもゆっくりかみくだいてのみ込んでいく。
くりかえすうちに震えがとまってきた。チーズの滋養が腹 の底からほのかな暖かさになってはい上がってくる。
遠く犬の遠吠えが聞こえる
トルコのシベリアとよばれ、冬期には氷点下30度を越す東 部アナトリア地方は茶褐色の荒涼とした高原がえんえんとつづいている。ぼくの寝ている場所からは岩山にさえぎられて見えないが、標高5,155mのアララト山(トルコ名:アール・ダアー)がすぐ側にそびえているはずだ。
ノアの方舟が漂着したという伝説の山はトルコ、イラン、アルメニアの国境にあって、予言者ノアの子孫を自認するキリスト教徒(ここでは特にアルメニア正教徒)、イスラム教徒双方にとって神聖な山として宗教的な象徴であると同時に民 族的象徴ともなっている。
日本の明治維新に強い刺激をうけたケマル・パシャ率いる 新生トルコ共和国は近代国民国家をつくる過程で多種の少数 民族をトルコ国民として、彼らの出自(アイデンティティ)を全否定した。
オスマントルコ時代からつづいてきた少数民族や異宗教への寛容政策はこの時終焉し、今問題になっているクルド人問題もこの時期を起源とする。
利害の異なる民族たちが同じ聖山を拝するこの地域はデリ ケートな政治状況を生み少数民族問題のメッカでもある。
イラン国境に近いドウバヤジットの郊外にイサク・パシヤ サライという宮殿の遺跡がある。
17世紀にクルド人の族長が造営したこの宮殿は、面白いことにセルジュク・オスマン・ペルシャ・グルジア・アルメニアの各民族の建築様式が折衷した複合文化建築である。正面の金張りの扉はかつてロシア軍に持ち去られ現在エルミタージュ美術館にある。
訪れる人もなく、荒れはてた古城は茶褐色一色の壮絶な風 「 景のなかに静まりかえっていた。
谷をはさんで向いの崖にモスクの跡と紀元前の城塞もみえる。その風景が、夕陽をうけて茜色に染まったのだ。
ぼくは息をのんだ。
夢の中で狼が吠えている。
はっとして目が覚めた。見まわすとクルド人の子どもが三人、犬をつれてぼくをみていた。
起き上がるとワッと逃げだして遠くからまた様子をうか がっている。荷物をかかえてぼくは歩きだす。子どもたちも あとを追ってついてくる。岩だらけの山道を、まちへ向かう5㎞の道のり。岩山にゴマをまいたように黒や白の羊がへばりついて草を根こそぎ食いつくしている。
羊飼いの吹く口笛が澄みきった青空に響きわたった。その 日も青空だった。青というより紫に近い深いあおだ。
一人で旅をしていると自然の中に自分が埋没してしまう。 思えばもう何日もまともに人と口をきいていなかった。
遠くの羊飼いに向かってぼくは大声で叫んだ。 「アルカダッシュ!」(友だち!)
遠まきにあとをつけていた子どもたちが口々に何かいいな がらぼくのまわりによってきた。
前方に雲を戴くアララト山がはっきりみえた。