ドーナツの穴見る私の、あの日の選択
昔から好きだったオスカーワイルドらしいこの文言はまさに、"かつての"私をよく形容している。
小さい頃から私にとって、思考や物事の全ては悲観的な所から始まっていた。
「他者に嫌われないために!」が人生のプロトコル。
周りの目をよく気にする子で、自分よりも他者の感情・機嫌を優先。
周囲の顔色を伺っては自分の意思を押し殺し、取り繕う。
基本的な発言はするが、自己主張の出る強い内容はほとんどしない。
そう、当時の私にとって、こうしようああしようという思考や物事の選択は全て「防衛」だったのだ。
始まりから何やらネガティブな雰囲気のもと始まってしまったが、何もこれは悪い面だけでもないと、少しは大人になった今思う。
それは、相手の気持ちに感情移入しやすいことで、相手の喜び、悲しみ、痛みにも敏感だったからだ。
それが功を奏したのか、友人からの相談も多く、先生からは"リーダーシップのある子" "友達思いの子"なんて通知表に書かれることも少なくなかった。
「ただ周りに合わせて声をかけているだけなのに…」
そんな思いとは裏腹に、内心は頼りにされたり、そんな自分を他者が評価してくれていることにご満悦そうな自分もいた。
しかしそんな時も結局は、"リーダー的"という評価が下されたことより、"相手から嫌われず好まれている現状"に最も喜びを感じたのだ。
「自分の思いなんて伝えなくても、相手に合わせていればいい感じに事は進む」
そう小さい頃に盲信してしまった私の前に、大きな壁が突如立ち塞がる。
高校生となった私は、他県の高校にサッカーで進学した。
もちろん、人間関係も一からのスタート。
とはいえ、案の定というか期待通りと言った方が正しいのか、これまで通り人間関係も上手くいき友人もすぐに増えた。
(自分の事ではあるが、この当時の自信っぷりには我ながら腹が立つ)
そんな平凡でいつも通りの毎日と自分に、ここでとあるイベントが訪れる。
なぜだか目で追ってしまう、大変魅力的なクラスメイトと出会ってしまったのだ。
私にとって、これは初めての感情だった。
人を好きになった事はこれまでにも当然ある。
でもこれまでの好きになった人とは何か違う、どこか引き寄せられるものを感じたのだ。
まず、顔がとても美人。可愛いというよりも綺麗系だ。
そして何より、そのクールな顔立ちと雰囲気とは対照的な明るいキャラクター。
見ていてわかる、「ケセラセラ」なマインドとそれにピッタリの弾けるような魅力的な笑顔が特徴だった。
「この人と付き合ってみたい….」
ただそんな思いは、根からの人見知りな性格とネガティブ思考のダブルパンチで一瞬にしてKOされた。
ご想像通り、「話してみたい!」なんて純粋な気持ちのまま実際に話しかけられる訳などなく、ここでも変に話しかけて嫌われたらどうしようという心理が大脳の99%を占めては、せっかくのドーパミンを抑える。
ただ、なんだかんだで事は進展し、たまたま席が隣になっては忘れた教科書を貸してくれた事をキッカケに話し始め、試験前にはノートを見せてもらったり、挙句の果てにはファミレスで一緒に勉強するという一見真面目に見えつつ、単なる一緒に遊ぶ口実….なんてベタな恋愛漫画のようなことが起きる訳でも当然なかった。
いつも通り、ただ「防衛」のための選択を続けていこう。
それが一番無難で、実際これまでの人生はそれで上手くいってきたんだから。
まあ、あっちから告ってくる可能性もあるだろうし!
(なんてこんな都合のいい期待を膨らませる時だけは調子良いのも我ながら腹が立つ…。)
しかし、事実は小説より奇なり。
隣席で最初に仲良くなった女友達が、まさかの彼女の中学からの同級生で仲良しだったのだ。
どうしようか、ちょっと運も味方しているから相談して力になってもらおうか….
いや、男なら自分で声かけなよ!なんて言われるだろうか….
ていうかそもそも彼氏いたらどうしようか….
いやいや、まず彼女を好きという事がクラスメイトにバレたらイジりも面倒だな…
などいった空虚な妄想が頭を駆け巡る。
「ねえ」
女友達からだった。
「そういえば、今度サッカーの試合〇〇と見に行くよ!うちのお兄ちゃん出てるからさ〜」
〇〇とはもちろん彼女のことだった。
おいおいおい。ちょっと待って。
自分も出場する試合、そしてそれを見にくる片思いの子。
いい所見せたい!と人間誰しも思うだろう。
不思議とこの時、いつものような悲観的な思考に陥るまでは数十秒のラグがあった。
チームとしては大して重要な試合ではない。(ただの練習試合)
しかし、とある一人の青年にとっては絶対に負けられない戦いがそこにあったのだ。
(後にも先にも、よく眠れなかった日ワースト3だったことも触れておきたい。)
そして当日。
ウォーミングアップ中、彼女たちがどこに見にきているのか気になって仕方がなかったため、試合中よりも首を振って周囲を確認した。
もしも監督が内情を知っていたら、それを試合で発揮しろと怒ったに違いない。
ピーッ!!
始まりのホイッスルがいつもより短く感じ、何かの鼓動にすぐさまかき消された。
試合が始まると、好きな子が見にきてくれている事などはさすがに忘れ没頭した。
格下ならまだしも、実力は互角あるいは少し相手の方が上だった。
格下ならいい所見せ放題だったのに….なんてタラレバを試合の流れが止まるごとに膨らませる。
そんな時、スローイングする相手選手の後方の木の下に、知っている顔の女の子2人が視界に入った。
彼女だ。
なぜだろう。
普段なら、ここでミスしたらどうしようなどというネガティブな思考がすぐにやって来るはずだが、またしても大分とラグがあった。
試合時間残り5分。
0-0の場面で私たちはPKを勝ち取った。
いつも通り、キャップテンの先輩がボールをセットしに行く。
とその時、自分でも不思議なことが起きる。
「先輩!俺が蹴りたいです。」
驚いた。
なんでそんな事を言ってしまった?
それに、「蹴らせてください」ではなく、「蹴りたいです」という中途半端な敬語も、先輩にドーパミンが出ていなければ後で処刑されたに違いない。
「珍しいな。決めれる?」と先輩。
「外す気がしません。」
思えば、これが私にとって初めての「攻撃」的な「選択」だったのだ。
これまでも、PKを任せられることは多かったし得意だった。
ただ、一度たりとも自ら進んで蹴ることはなかった。
理由は簡単。荷が重いからだ。
特に大一番の中でのPKを経験した人しか分からないだろう。
キーパーと自分の2人だけしか世界にいないような、あの独特の空間。
外せば戦犯、決めればヒーロー。
この試合はたかがチームにとっては練習試合だが、私にとっては大一番だ。
私の敬愛するロベルト・バッジョの言った「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」という言葉がやや不謹慎にも脳裏をよぎる。
そんな事を考えながらボールをセットし、助走をとる。
不思議と一切の迷いも後悔もなかった。
ただあったのは、「良いところを見せたい」という純粋な男心だけだった。
ネットが揺れて駆け寄るチームメイト。
大柄な男たちの僅かな隙間から手を叩く彼女の様子が見えた。
ピーッピーッピピーッ!
終了のホイッスルは始まりよりも長く、次は何かの鼓動に染み渡るよう消えてった。
終わった私の所に、「ゴール決めてたね!」と彼女たちが声をかけにきてくれた。
「サッカー初めて生で見たけどすごいね!!」と彼女。
「大変だけどすごい楽しいよ!」と普通の回答をする私。
思えばこれが初めての会話だった。
そんな時、私にとって記念すべき光景を一瞬で消し飛ばすかのようにある爆弾が投下される。
「でも良かったね〜 好きな〇〇の前でゴール決められて」と。
その爆弾の投下主は女友達だった。
「え、、、いや、、、え」と、ここまでたじろいだのは初めてかもしれない。
「いや、分かりやすいのよ!笑 あんだけ普段から目で追ってたら気づくから笑」
女の勘が鋭いという事は母からよく聞いていたが、正直侮っていた。
その後なんて言ったかは緊張のあまり正直覚えていない….。
ただ、ここでPKに続くもう一つの大きな選択を私は行い、それがその後のデートに繋がったのは確かだ。
それからは普通にクラスでも話す仲となり、遊びの約束当日までにも色々な話をした。
そして迎えたデート当日。(今、デートという単語をいざ書くと気恥ずかしいのはおじさんになったからだろうか….)
試合のない休日に好きな女の子と過ごす日がどれだけ至福のひとときか、当時の私の気持ちは計り知れない。
午前中には、当時流行った「君の名は。」を観ては東京に憧れるヒロインに共感し、その後はショッピングモール内で洋服や雑貨を見つつ、お昼休憩に彼女が大好きなドーナツを食べることにした。
「うわ〜どれにしよう。ミスドにくるといつも迷うんだよね。」
色とりどり並んだドーナツと優柔不断な彼女。その気持ちはよく分かる。
「よし、これにした!!」と決める彼女の横で、「じゃあ迷ってたもう片方俺が買うね」と、なんとも自分らしい我慢と相手の事を思っての発言だ。
席につくやいなや、食べる前から浮かべるその満遍の笑みは、一目惚れしたあの時と変わらない。
「じゃあ食べよっか」と私。
「あ、ちょっと待ってて。すぐに戻るから」と彼女。
そうして去った彼女の席に残ったドーナツの穴が目にとまり、ふとあの言葉を思い出す。
やっぱり、ドーナツの穴が自分は気になってしまうんだな…。
あの日を境に、急にポジティブ・楽観的になれるほど人間は良くできていない。
でも、あの選択をしたからこそ今の自分があり、今ここで彼女と過ごせている。
ましてや今、こんな風に少しポジティブな思考が出来ていることだけでも進歩ではないだろうか。
そんな思いに耽けていた時、彼女が戻ってきた。
「はい、これ」と彼女。
「ん?」
その手には、私を含めみんな大好きであろうあのオールドファッションチョコとポンデリングがあった。
「本当はこれ食べたかったんでしょ?分かりやすいよね。笑」
どうやら、気になるものはかなり目で追ってしまう私の癖はバレバレらしい。(サッカーのために長らく我慢していていつも以上に食べたかった。)
「気使ってくれるのも嬉しいけど、もっと自分大事にしなよ〜」と、これまで一緒にいて節々に感じたことも含め色々言ってくれた。
「こんなに小さな選択さえも相手の気持ちを意識しちゃうの、本当なんでなんだろう。嫌われたらどうしようって…」と、つい私も言葉が漏れた。
そんな私に彼女は、まるで敏腕心理カウンセラーばりに色々と話に乗ってくれた。
そして、その言葉の数々が私には干天の慈雨のように染み渡り、その木漏れ日の如く柔らかな眼差しが、この悶々とした心の霧を晴らしていく。
何やらまた物思いに耽てしまいそうな私を阻止するためか、
「とにかくもう考えすぎ。早く食べて!次も行きたい所あるんだから!」と急かしてくる。
そう言うやいなや、彼女は最後の切れ端を頬張り、
「やっぱりこれ選んで正解だった!」とご満悦な顔を浮かべて言った。
今も私は、ドーナツを見るたび彼女を思い出す。