知覧特攻平和会館をゆく(鹿児島)
知覧といえばお茶で有名ですが、もうひとつ、国内有数の特攻隊基地があったことでも知られています。仕事の関係で去年まで鹿児島に数年間いたんですけど、そのあいだに何度もいった。
太平洋戦争の是非については人それぞれに見解があると思うけれど、そんなアカデミックな議論とはまったく別の次元で、「あした自分がどうやって死ぬか」という、極めてリアルな、選択肢も何もない、ただ決意だけを求められる時代があったということ。しかもそれが高校生や大学生くらいの年齢という。
いまは平和な時代だから、こんな昔のこと知らなくても生きていくのに支障はないだろうけど、でも当時の彼ら彼女らが何を感じ考えたのかは、知っておくべきだと思うんだよね。ウチらは「たまたま」現代に生きているだけだと思うんです。
ということで、今回はマジメな回です。
しかしこの場所はホント何回きても、そのたびに思うところがある。万世特攻平和記念館もいったけど、知覧のほうが規模が大きいので最初に訪れるならこちらのほうが良いです。
特攻を美化する気はさらさらないし、作戦とも呼べないような悪手だと思うけれど、その時代に生まれて、そういう環境に身を投じた当事者をどのように捉えるかは、また別だと思うんだよね。
展示されている遺書には、とても20歳前後とは思えないような勇ましい言葉が躍っている。でも、館内の映像資料や語り部さんの話にあるように、出撃前夜に恐怖で泣き叫んだり、震えを酒でごまかしたり、まだ少年だからね。彼らにあるのは「あした生きるか死ぬか」ではなく「あしたどうやって死ぬか」だけなんだ。家族も恋人も「いかないでほしい」とは口が裂けても言えない。そういう時代。
いまウチらは、彼ら彼女らと同じ体験をすることは絶対にできないけれど、それでもそのとき何を感じ、何を思ったのかを少しでも知りたくて、何度も足を運んだというわけです。いま令和に生きている自分は「たまたま」ここにいるだけであって、あの時代に生まれていたとしても不思議じゃない。もしそうなっていたら、おれは自分の運命に何を感じ、どう行動しただろうか。答えはでないんだけれど、それでも考えざるを得ないね。
77年前、この国で起きた出来事です。