東京の東のはずれ、千葉県との県境がすぐそこという場所にひとつのショッピングセンターがあります。このあたりは公共交通機関の便が良くないため、買い物するにも一苦労。そういう意味では、地域にとっては日々の糧を入手する場所でもあり、情報交換や交流の場でもあったんだろうね。ただこのあたりも高齢化は進んでおり、建物の老朽化も相まって、まもなくその役目を終えようとしている。さあ、その最後の雄姿を心に刻もう……。
それにしても5日後には最後の魚屋さんも閉店、そしてショッピングセンターも完全閉鎖、か。ギリギリなんとか間に合ったという安堵感と、ホントになくなっちゃうんだなという寂寥感とで、なんともいえない切なさを感じつつ、さて帰ろうかと、この場を後にしようとしたんです。しかし――
音量注意!
足元に割れたタイルが散乱しており、ジャリジャリいう音がまた臨場感マシマシでいやがおうにも神経を張り詰めさせる。
音量注意!
商店街の基本形というのは、まず人々が集まって暮らすようになり集落を形成する。次いでその集落の住民を相手にした店舗があたりに集積していき、自然発生的に商店街が形成される。だから、人がいなくなって集落が解散すれば、それに付随して発展した商店街もまた消えていくのは自然の流れではある。
でも、コトはそう単純ではなくて、人の生活があるということは、一人ひとりの歴史やドラマがあるということ。記憶やきろく、感情や想い出が、その土地や建物や人間関係に沁みついているということだからね。1Fで最後まで営業していた魚屋さんは、55年もここにいたんだ。いろいろと去来することがあると思います。おれなんかには到底想像もできない。
来週から移転先で心機一転がんばろう、もちろん理性的に考えればそれが正しいよ。向こうで受け入れてくれる新しいお客さんもいるだろうし、なにより自身の生活もある。でも、それら諸々を理解したうえでなおここを離れるというのは簡単な決断じゃなかったろうと、なんとなくそんな気がするんです。
大事にしてきたものを、いろんな理由から手放さなければならないというのは、自分の想いを捨てるのと同じだからね。