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先生っておでんみたい!

先生っておでんの具みたいに色々な種類がいると思う。

こんなに種類が多いから好き嫌いがあったり、合う合わないがあって当然のように今だから思える。今だから。

学生時代は合わなくてつらい思いもした。

そんな中で私には三人恩師がいる。その三人について書きたい。

おでんの具で言ったら絶対に白滝先生

 私が小学生の時、担任だった先生は、ホントに白滝のような人だったと思う。肌が白くて、毛深かった印象(笑)もじゃもじゃ。

白滝先生は、本当に全力でぶつかってきてくれる先生だった。全力で笑って全力で𠮟ってくれたし、全力でドロケイをして滑って転ぶような先生だった。

白滝先生に言われて今でも忘れない一言がある。
私が休み時間に「このクラスの好きなところは?」と聞いた事があった。

白滝先生は少し悩んで

「たくさんあるけど、みんなが本当に仲が良いことかな。一番それが難しいから。君たちはすごいよ。」

当時の私は意味が分からず

「仲がいいのは当然だよ!みんなこのクラス大好きだもん。」

白滝先生は笑っていた。


小学校を卒業して中高校生活を経験し、白滝先生の言ったことが理解できた気がする。仲良くするということは想像以上に難しい。

本当に白滝先生のクラスは仲が良かった。もちろん、悪ガキもいたし、ハンデを持った子もいた。

でも、先生は一人一人を真摯に扱ってくれた。

今思うと、絶対に生徒を呼び捨てで呼ばなかった。○○さんと下の名前で呼んでくれた。大人と同じように扱ってくれた。だから、私たちは白滝先生の前では素直になれ、必然的にクラスメートとも良い関係を築けていたのだと思う。


体育会系煮卵先生

中学生時代は誰しも黒歴史製造機だと思う。いわゆる中二病。

煮卵先生は一言でいうと本当にアツアツだった。
本当に夕陽に向かって叫びたがるような先生だったと思う。声がでかすぎて近隣から苦情が来るほど笑

想像して頂きたい。

黒歴史製造機の中学生35人vsアツアツ煮卵先生

二年間のバトルが始まるのは必然だ。(二年間担任だった。)

当時の私たちは、行事なんてだるい、本気出すほうがダサい。と思い込んでいた。

その思想に対して、行事のたび喝を入れてきた煮卵先生。

中学三年生になると、クラスみんながリトル煮卵になっていた。

今思うと、煮卵先生がいなかったら私の中学校生活は本当にただの黒歴史になっていただろう。体育祭、合唱コンクール、修学旅行、、etc
どれも色濃く思い出せる。

そして、煮卵先生とリトル煮卵たちは、卒業した時に交わした約束がある。

煮卵先生よりも絶対に先に死なないこと

これを破ったら絶対に怒られるから、破らないと心に決めている。

癖のある牛すじ先生

私が関わりを持ってきた先生の中で良い意味で一番癖の強い先生だった。

いつも、たばこの匂いがしていた。
いつも、猫背で体調が悪そうだった。

部活の顧問としての関わりだったが、𠮟られた記憶の方が多い。

でも、高校三年生の時、唯一私の夢を笑わないで最後まで話を聞いてくれた先生である。担任にも親にも自信がなく、話せなかった。

牛すじ先生は、噓が通じない。論理的に話しないと納得をしない先生だった。そんな先生が肯定して、頑張れといってくれただけで、どれだけ勇気がわいたことか。


頑張れなんて言葉は案外簡単に人は言えると思う。





でも、牛すじ先生に言われた頑張れ特別な味がすると思った。




あとがき

これを書いてたら、おでんをたべたくなりました。

お酒が飲めるようになったらこの三人におでんをおごりたいです。

                     10月5日第五回・完





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