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【ドイツ語】「中東」なの?「近東」なの?

こんにちは!

イスラエル・ハマス紛争に続き、シリアでのアサド政権崩壊など、あの辺りの地域発のニュースが日々飛び込んできています。

「あの辺り」とぼかしたのは、今回の記事のテーマがまさに「あの辺りの地域」の呼び方についてであるためです。

多くの方はあの辺りの地域を「中東地域」と呼ぶことにそれほど疑問は抱かないと思います。

実際、英語でも「Middle East」と呼ぶので、日本語は英語の表現を借りているだけ、とも言えそうです。

問題なのは、ドイツ語。

ドイツ語では「あの辺りの地域」のことを
「Naher Osten」(ナーアー・オステン)
「Nahost」(ナー・オスト)と呼びます。
英語に直訳すると「Near East」。
つまり「近東」というわけです。

ん?

イスラエルとパレスチナの問題は「中東問題」と日本語で言いますよね。
英語では「Middle East conflict」ですが、
ドイツ語では「Nahostkonflikt」と言います。

ドイツ語は単語を全部くっつける初見殺しの言語なので、分割してみると、
「Nah Ost Konflikt」となります。
「Near East conflict」、つまり「近東問題」ですね。
「近東問題」なんて、日本語では聞いたことがないような…。

この用語のズレはドイツ外務省ももちろん認識していて、
「中東問題」の頁の英語版とドイツ語版ではちゃんと使い分けられています。

ドイツ外務省英語版
ドイツ外務省ドイツ語版

フランス語にも「Proche-Orient(近東)」「Moyen-Orient(中東)」という言葉があります。

フランスもイギリス同様、元オスマン帝国領のあの地域との繋がりが深い国なので、厳密に使い分けているのでは?と言いたいところですが、正直どちらの用語もほぼ同じ地域を指しているというのが私の印象です。

ウィキペディアで「Moyen-Orient」を調べてみると…。

Les termes « Proche-Orient » et « Moyen-Orient » ne désignent pas deux espaces géographiques clairement séparés, comme si, en allant vers l'est, on voyait se succéder le Proche-Orient puis le Moyen-Orient avant d'atteindre l'Extrême-Orient. Ces termes désignent un même espace défini, au tournant des XIXe et XXe siècles, par le Bureau des Affaires étrangères et du Commonwealth britannique comme le Middle East, et par le Quai d'Orsay français comme le « Proche-Orient ».

【拙訳】
「Proche-Orient(近東)」と「Moyen-Orient(中東)」は、あたかも東に向かえば近東、中東、極東に至るかのように、明確に分かれた2つの地理的空間を指しているわけではありません。この2つの用語は同じ空間を指すもので、19世紀末から20世紀初頭にかけて、イギリス外務・英連邦省によって「Middle East」(中東)、フランス外務省によって「Proche-Orient」(近東)と定義されたものです。

Moyen-Orient — Wikipédia

イギリス「これからはこの地域を『中東』と呼ぶことにする!」
フランス「イギリスが『中東』にするなら、我々は『近東』にする!」

・・・何と言うか、英仏のいがみ合いは同じ地域の名付け方にも影響を及ぼしているのでしょうか。

これを見るとドイツ語はフランス語に従ったようにも見えるのですが、問題はドイツ語では「Naher Osten」と「Mittlerer Osten」の指す場所が異なっているという点です。

英語とフランス語で「中東」「近東」の区別が曖昧なのと比べると、この点は大きな違いです。

英語ウィキペディアの「Middle East」と、ドイツ語ウィキペディア「Mittlerer Osten」が掲載している地図を見比べてみてください。面白いですよ。

英語、フランス語、日本語ウィキペディア「中東」で掲載されている地図。
ドイツ語ウィキペディア「Mittlerer Osten(中東)」の指す地域。

リンクを貼る記事を間違えたのではないかというほどのミスマッチ。
かろうじて重なっている「イラン」は自信なさげに黄緑です。

なお、日本が属する「極東」はミャンマーから始まるので、確かにドイツ語で言う「中東」は、近東と極東の間の地域をきれいにカバーしています。

「近東と中東が同じ地域を指すのなら、極東との間にあるインドやパキスタンは『何東』と呼べば良いんだ?」

という問いに真正面から取り組んだ、ドイツ人の生真面目さが伺えますね。

確かにドイツ語の切り口のほうが「東」をしっかりと3分割できているのですが、英語による「東」の分け方に慣れている私たち日本人としては、インドを「中東」と言われると、「ん?」と首を傾げるのではないかと思います。

先ほど挙げたフランス語ウィキペディアも「あたかも東に進むにつれて近東、中東、極東となるわけではなく」と釘を刺していましたね。

これを察してか、ドイツ語ウィキペディア「Mittlerer Osten(中東)」にも、次のような文が書かれています。

Im Arabischen wird unter dem Begriff Mittlerer Osten (…) der im Deutschen als Naher Osten bezeichnete Raum verstanden. Im Englischen wird unter Middle East im engeren Sinn ebenfalls der deutsche Nahe Osten verstanden.
【拙訳】
アラビア語の「中東」はドイツ語で「近東」と呼ばれる地域を指す概念と理解されている。同様に、英語の狭義の「中東」は、ドイツ語の「近東」のことを指すと理解されている。

確かに、ドイツ語ウィキペディア「Naher Osten」(近東)に使われている地図は、英語の「Middle East」(中東)に使われている地図と全く同じです。

デジャヴ。

英語の「中東」はドイツ語の「近東」

この事実を認めつつも、頑として用語を変えないドイツ語。

ちなみに、英語の「Near East」(近東)が指す地域はこんな感じ。中東にバルカン半島を含んだ地域になっていますね。

ただ、ウィキペディアによると、英語の「Near East」と「Middle East」の指す地域は時代や使用者によってまちまち、とのこと。アメリカ国務省は1958年の段階で「中東」と「近東」は入れ替えて使っても良い用語とした一方、国連食糧農業機関(FAO)は2012年に「近東」を「中東」の下部概念としたようなので、「Near East」と「Middle East」の使い分けに統一的なルールは無いようです。

要するに、良く言えば、どっちでもOK、悪く言えば、ぐちゃぐちゃ。

元々この地域に深い関わりを持っていたイギリスとフランスの言語で「中東」と「近東」の指す地域が同じだったり微妙に違っていたりと、用法に統一感が無いのを見ると、

むしろ、語句の混乱を避け、英語に影響されることもなく、あくまで自分の立場を貫いているドイツ語の呼称のほうが分かりやすいかもしれません。

シュピーゲル誌としては、英語の「東国」の始まりは早すぎるようです。

Wenn die Briten und Amerikaner vom "Middle East" sprechen, meinen sie damit in der Regel das, was wir im Deutschen unter dem "Nahen Osten" verstehen. Da für die Engländer der Osten bereits mit den Niederlanden beginnt, wähnen sie sich im arabischen Raum schon in "Middle East". Länder wie Syrien, Libanon, Israel und Palästina werden in der englischen Sprache also dem "Middle East" zugerechnet, aus unserer Sicht jedoch zählen sie zum "Nahen Osten".

【拙訳】
イギリスとアメリカが「Middle East」と言うときは、大抵ドイツ語で言う「Naher Osten(近東)」を指している。イギリスにとって「東国」は早くもオランダから始まるので、アラブ圏に来た時点で「中東」にいると錯覚してしまうわけだ。そのため、シリア、レバノン、イスラエル、パレスチナといった国々は英語では「中東」に分類されるが、我々ドイツ人の視点からするとこれらの国は「近東」に分類される。

Zwiebelfisch-Abc: Mittlerer Osten/Middle East - DER SPIEGEL

独和大辞典やアクセス独和辞典など、電子辞書に収録されている辞書では「Nahost」の訳語は「近東」と書かれていますが、ここは「中東」の訳を当てるほうが今の時代に合っている気がします。

直訳できないのが悩みだと言えば確かにそうですが、
正直私は「Nahostkonflikt」の訳が「中東問題」であることに何の疑問も抱いてきませんでした。

そもそも「近東」という日本語自体が今では日常生活で馴染みのない言葉となっており、「Nahost」の文字通りの意味を考えようともしなかったからかもしれません。

なお、ドイツ語には「Naher und Mittlerer Osten」という言葉もあります。ドイツ外務省も使用する用語です。

これは直訳すれば「中近東」ですが、

ドイツ語の「Naher und Mittlerer Osten」が日本語で言う「中東+パキスタン、アフガニスタン」、つまりエジプトからパキスタンまでの国々を指すのに対して、

Naher und Mittlerer Osten | SpringerLink

日本語の「中近東」はさらにリビアを含んだり(大辞泉)、もっと西に行ってモロッコまで含む(日本外務省。古い資料?)ようです。

ここでもまた用語の示す範囲にズレが生まれているのです。

5. 中近東
中近東(チュウキントウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

日本外務省、大辞泉

そのため、「中東」か「近東」か決め打ちするのを避けるために「中近東」とぼかして言うと、かえって混乱が増す恐れがあります。

「中近東」は「中東」とほぼ同義に使われることもあるようなので(精選版 日本国語大辞典)、「英語の『中東』はドイツ語の『近東』」というシュピーゲルの記事にも則り、ドイツ語の「Nahost」は字面に囚われずに「中東」と訳すのが適切なように私は思います。

英語(そして日本語)の呼称になぜドイツ語は合わせてくれないんだろうと最初はもどかしく感じましたが、
調べるうちにドイツ語のほうが筋が通っていて分かりやすいと思った次第です。

大変長くなってしまいましたが、ここまでお読みいただきありがとうございます!

【画像】GLadyさま【Pixabay】