【試訳】独島イン・ザ・ハーグ【3】
大型スクリーンを通じて、ソウルにいるチョン・ギヨン・チーム長がソジュンとヒョンギを出迎えた。
「入ってこい。ヒョンギは久しぶりだな」
「チーム長、お元気にされていましたか?」
ヒョンギはスクリーンに向かって丁寧に挨拶をすると、画面の前の席にソジュンと並んで座った。
「もちろんだとも。ソジュンがジェットコースターに乗せてくれるもんだから、楽しく過ごしているぞ」
ソジュンは硬い表情でうつむき、「申し訳ありません」と言った。
ソジュンは最近、北朝鮮に派遣されたが、任務を遂行中に事故を起こした。
北朝鮮の国防委員会に侵入して、戦時の核兵器の運用 に関する文書をカメラで撮影するのに成功した後、鴨緑江をわたって中国へ行こうとしたときに問題が生じた。
北朝鮮人の女性が中国人の男たちに強姦されているのを目撃したソジュンはその男たちを殴り倒したのだが、その中の一人が中国公安の幹部 の息子だったのだ。
自分も知らない間にソジュンは指名手配され、中国や北朝鮮で作戦をすることが難しくなった。
最近日本関連の業務を担当する部署に異動したのもそのためだった。
「ソジュン、俺が、北の女たちの貞節を守ってこいとお前を北に送ったとでも思ったのか? どうしていつも上手くいっていると思ったら最後に余計なことをやらかすんだ。
人間味があっても仕事を台無しにする奴は売国奴だ。むしろ、冷血漢だが事故を起こさない奴の方が愛国者だ。分かったか?」
「はい。今回の作戦では必ず愛国者になります」
他の人であれば、上司から叱られれば、表向きはどうでも、腹の中で不満に思うだろうが、ソジュンは本心から申し訳なく思って いた。
他の人に助けてもらったときも、他の人に被害を与えたときも、その感謝の気持ちや申し訳なさに対して、大きな形で報いねばという負い目の意識が、ソジュンは人一倍強かった。
「そう気を落とすな。今回の作戦さえうまくやれば、名誉挽回のチャンスも残っているんだぞ」
スクリーンの中のまた別の画面に、ある男性の写真が現れた。白髪に黒縁眼鏡をかけた、60前後のように見える男性だった。
「二人とも、このお方が誰か知っているだろう?」
「小説家のイ・ヒョンジュンですよね?」
ヒョンギが当たり前だというような口ぶりで言った。
イ・ヒョンジュンは、在日作家として、韓国と日本の両国でかなりよく知ら れた小説家だった。主に歴史小説を書き、そのうちの何作かは韓国でもドラマ化や映画化されもした。
ソジュンは答えるのも忘れて、 その顔をただ茫然と見つめていた。ソジュンにとっては、忘れもしない顔だった。
「その通り。イ・ヒョンジュンが明晩、ここ東京で開催される国際ペンクラブに参加する予定だ」
ヒョンギが首を傾げた。
「ファンクラブ(※)っすか? 小説家にも韓流スターみたいなファンクラブがあるんすか?」
「ファンじゃない。P・E・Nだ。Poets 、Essayists、 Novelistsの略語だ。文学者たちの国際組織だと思えば良い。毎年世界の各都市を回って国際大会を開催しているんだ。
お前たち、ひょっとして、イ・ヒョンジュンがずっと昔に書いた『海の帝国』という小説を知っているか?」
ヒョンギとソジュンは同時に首を横に振った。
「今どき、その小説を知っているはずもないか。80年代末に、我が国の某季刊文学誌に連載されていた長編小説なんだが、どうしたわけか、たった二回連載されて中断されたんだ。
伽耶の歴史上最も偉大な王だった3代目の麻品(マプム)王が強大な鉄器文明を基に、日本、中国、インド沖合まで海上領土の拡張していく話だ。海の高句麗好太王ってわけだ」
ヒョンギが尋ねた。
「その小説に、何か特別なところがあるんすか?」
「小説の内容に、歴史的事実に合致する点が多いのさ」
「歴史小説を書く作家も全くのフィクションから始めることはないじゃないっすか。資料を基にして骨組みを作ってから、想像力で肉付けし ていくんすよね」
「既に知られた歴史的事実に合致しているのなら、何も特別なんかじゃない。だが、『海の帝国』は、既存の資料に出てこない歴史的事実を含んでいるんだ」
今度はソジュンが尋ねた。
「既存の資料にもなければ、その内容が歴史的事実と合致するかどうやって分かるというのですか?」
「例を挙げてみるか。お前たち、もしかして『波形銅器』を知っているか?」
ソジュンとヒョンギは首を横に振った。
画面に波形銅器の写真が現れた。手の平半分にもなる大きさに鉤型の形の羽が四方に走った、風車に似た形だった。
「波形銅器は、燃え盛る太陽を象徴した青銅の装身具だ。日本の全域で百個余り出土しているんだが、全部皇室関係の場所から出ている。だから、日本の歴史学会では、波形銅器を日本の皇室を象徴する模様だと見ている。
だが、我が国の慶星大学校の発掘団がその後に金海の大成洞古墳群で伽耶の墓を発掘していた時に、波形銅器が出てきたんだ」
ソジュンが目を輝かせて口を挟んだ。
「伽耶と日本の皇室が互いに関係があるということですね」
「そうだ。そのため、韓国と日本の歴史学会が非常に衝撃を受けたのさ。日本はこれを三世紀半ばに倭国が任那・伽耶を通って三韓 を支配下に収めたという任那日本府説の根拠だと考えた。一方で我々は、日本の皇室が朝鮮半島の影響を受けた証拠だと主張した。
だが、驚くべきことは、大成洞の古墳が発見される十年前に書かれたイ・ヒョンジュンの『海の帝国』で、伽耶の麻品(マプム)王の王室の紋様として、二匹の魚が向かい合う形の双魚紋と一緒に、波形銅器の模様を描写していたという事実だ。
双魚紋は、首露(スロ)王陵にも刻まれており、小説が出る前から広く知られていた模様だが、小説が波形銅器を描写しているという部分は、どうすれば説明できる か?」
ヒョンギがにっこり笑って答えた。
「イ・ヒョンジュン氏が、神業に近い歴史的推理力を持っていたのでなければ、今まで世の中に知られてこなかった資料を見て小説を書いたってことっすよ」
「まさにそのとおり! 波形銅器は一つの例に過ぎない。イ・ヒョンジュンの小説にまず現れ、後で資料によって検証された伽耶の 小品は一つや二つではない。我々の先輩方は、イ・ヒョンジュンが参考にしたと見られる資料が『駕洛国記』だと推定している」
ソジュンが首をかしげて、あれこれ質問をし始めた。
「『駕洛国記』ですか? 伽耶を建国した首露王の話が収められている書物のことですよね? 既に世に出た書物ではないんです か?」
「今伝えられているのは、一然(イルリョン)上人が『駕洛国記』の原本を要約し、『三国遺事』に載せたものだけだ。長い間原本は発見されなかったんだ」
「それでは、イ・ヒョンジュン氏が『駕洛国記』を持っているという意味ですか?」
「我々の国情院の先輩方は、そのように考えておられた」
「イ・ヒョンジュン氏にお尋ねにならなかったんですか? 『駕洛国記』を持っているかどうか」
「尋ねたさ。大成洞古墳で波形銅器が出てきた直後に、我々の先輩方がイ・ヒョンジュンに会って尋ねたんだ。そうしたら、イ・ヒョ ンジュンは、そんなものは初めて聞きましたとしらばっくれたそうだ」
「どうしてなんですか? 『駕洛国記』を持っていることをあえて隠す理由があるとでも? 歴史的にとてつもない価値を持った 書物だというのに」
「その理由は俺も気になる。とにかく、イ・ヒョンジュンが『駕洛国記』を持っているだろうと考えて、我々の先輩方が韓国と日本 にあるイ・ヒョンジュンの家や作業部屋を密かにくまなく探したようなんだが、例の書物は全く見つけられなかったそうだ。そうしてこのことはうやむやになってしまったんだ」
今度はヒョンギが質問し始めた。
「でも、それから20年も経った今、どうしてまたそれが問題に?」
「最近、日本の情報員たちが、イ・ヒョンジュンの部屋や作業部屋をくまなく調べて、『駕洛国記』を探しているという動きを捉えたんだ。
我々がイ・ヒョンジュンにこっそりと接触していたのだが、イ・ヒョンジュンは我々の側には全く助けを求めなかった。そんな中、イ・ヒョンジュンが今回東京に行く日程を入手したのさ。
お前たちの任務は、イ・ヒョンジュンが『駕洛国記』を日本側に 渡すか注視し、もしそうなれば『駕洛国記』を入手して来るというものだ」
ソジュンが首を横に振って言った。
「イ・ヒョンジュン氏は、長きにわたり風格のある歴史小説を書いてきた方です。いくら在日同胞とはいえ、まさかそのような方が韓国の文化財とも言える文書を日本側に渡すような真似をするでしょうか?」
すると、チョン・チーム長が眉をひそめて厳しく叱った。
「ソジュン、お前って奴はいつになったら気を取り戻すんだ。人間は善くも悪くもない。ただ利益に支配された存在だ。性『益』説 とでも言おうか。
利益に従って、善人にも悪人にもなれる。誰も信じるな。まして自分自身さえも。自分も、相手も信じるな」
「チーム長、つまりは、俺たちみたいなプロに泥仕事をやれってことっすか?」
ヒョンギがにやにやしながら無駄口を叩いたが、チョン・チーム長は笑わなかった。
「今回の作戦は、お前たちが今までしてきたどの作戦よりも重要かもしれんな」
「もう、チーム長までそんなこと。『駕洛国記』に何か核兵器の設計図でも入っているんすか?」
「それ以上のものかもしれん」
意外な言葉に、ヒョンギの目に力がこもった。
「え? それ以上って、何すか?」
「それは『駕洛国記』を持ってきてから話してやる」
【4へつづく】