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「通じる英語」とは

英語ほど「ネイティブレベルを目指す」ことが馬鹿馬鹿しくなる言語はないかもしれません。(「ネイティブ」も千差万別なのはここでは割愛します)

「馬鹿馬鹿しい」が強すぎる言葉であれば、「報われない」と言ってもいいかもしれません。

と言うのは、「通じる英語」は「ネイティブだけが使う英語」では無いからです。

前提として、英語学習はドイツ語や韓国語等の勉強と根本的に異なる点があります。

それは、英語は国際語であるため、「ネイティブだけの言語ではない」という点です。

ドイツ語や韓国語の場合、会話は主に対ネイティブで行われますが、
英語の場合は、会話に入っている人の大半がノンネイティブ、ということがザラにあるわけです。
必然的に、辞書や教科書には正しくないとされている表現、あるいは見たこともないような表現が当たり前のように出てきます。

少し仕事の話をします。
翻訳の仕事をしていて色々とモヤモヤすることがあるのですが、
1つの例が「今日中」という日本語の英訳です。

これを「within today」と訳す例をよく見かけるのです。

「今週中」なら「within this week」、「10月中」なら「within October」というように。

あれ、こんな使い方出来たっけ……? 
「within 24 hours」とか「within two weeks」といった「数字+時間を表す言葉」なら分かるのですが、「within today」はとても日本語的に感じます。

私の電子辞書に入っているジーニアス英和大辞典では「today」の項にそもそも「きょう中に」という訳語があり、例文には

Finish your homework today. (x within today [this day])

と、わざわざ「within today」は間違い、代わりに「within this day」を使いなさいと注記がなされています。

(「within」の項にも類似の注記があります)

ネットで同じ質問を扱っているサイトを見てみると、「within the day」「by the end of the day」をネイティブ(を名乗る方々)の間では使われていそうです。一方、「within today」を使うという声も一部にはあります。

驚くのが、日本語を唯一の母語として育った(追記:プロの翻訳者である)同僚だけではなく、バイリンガルや、さらには英語が唯一の母語の同僚も「今日中」を「within today」と訳している点です。

ネイティブが使うなら、その表現は正しい。
言語と言うものは変わっていくものだから。
この例も本当にそうなのでしょうか?

僕は、同僚たちは敢えて不自然な英語を使っているのではないか?と思い始めました。

翻訳の受け手の大半がノンネイティブなので、彼らに伝わるような表現に変えているというわけです。

これはネイティブ英語ではなく別の「国際英語としての英語」です。

これが「通じる英語」と呼ばれる英語の正体ではないかと僕は思います。

「通じる英語」は、ネイティブだけに通じては意味がありません。
英語ネイティブは確かに世界中に多く存在しますが、私たちが英語を使う相手の殆どはノンネイティブです。

「通じる英語」はネイティブとノンネイティブ双方に通じる英語であるべきで、ネイティブ「だけに」通じる表現を使う英語では意味がないのです。

むしろ、「within today」のように、「もしかしたら正しくないのかもしれないけれど、まあ言いたいことは伝わるし、イイじゃん」という表現の方が、実際の国際的なコミュニケーションでは使われているのだと思います。

そして、そういう「配慮」ができるネイティブは、国際コミュニケーションで使われる、ネイティブ英語とは別物の英語との付き合いが長いのでは。

でも、そうだとしたら、「英語が上手」とはどういうことなのでしょう?
英語学習者は何を手本にすれば良いのでしょう?
何を目標にして学べば良いのでしょう?

ドイツ語や日本語なら、「ネイティブを目指す!」という目標にはそれなりの意味があります。

この究極的な目標が達成できるかはさておき、会話相手の大半はネイティブですから、ネイティブに合わせる形で学習をしていけば良いわけです。

一方で、英語の場合は逆に、ネイティブの方がノンネイティブに合わせてくる現象も起きているのではないか、と感じました。

そして、ノンネイティブとは無縁のネイティブの間では、ネイティブ同士でしか伝わらない、内輪の「ネイティブ英語」が別空間で展開されています。

となると、ネイティブを目指すとは、目標設定として適切なのでしょうか
国際語となった英語に「ネイティブらしさ」は必要なのでしょうか

そして、不自然だけれども伝わる、「通じる英語」を身に着ける用意が、私たち学習者には出来ているのでしょうか?