日本の英語教育について思うこと
というタイトルで書き始めると何だか大きな議論の渦に巻き込まれそうで気持ちが穏やかではないが(小心者なので)、今更もう一度英語教育を受け直せるわけでもない自分からすると、日本の英語教育を批判するでも擁護するでもなく、
「別に良いんじゃないの」
という気持ちになる。
学校教育で学ぶことなんて、結局は大学受験で良い成績を収めるため…と言うとミもフタもないが、英語については学校で学んだことがそのまま社会に生かされる(べきだ)と考える風があるのかもしれない。自分は高校の数学の内容を大方忘れてしまったが、だからと言って数学教育を恨むわけでもない。
個人的には、何を教えるべきか、ではなく、教わったことをどう自分の人生に活かしていくか、の方が大事だと思う。自分は外国語の勉強が好きだった。そしてそれはたまたま、自分の職業では必要で評価される能力だった。だから勉強を続けた。それに尽きるのではないかと思う。
だったらどうして日本の英語教育を取り上げるんだ、という話になるが、色々と外国語を勉強していく中で、ふと、
「まっさらな状態で英語をもう一度勉強できたら、今みたいにはならなかったんじゃないか」
と感じることがよくあり、その源泉をたどっていくと、学校の英語教育にたどり着くからだ。
日本の学校での英語教育で学べるのは高度な和訳能力と語彙の知識であって、運用能力ではないと思う。
そういう点で、日本的な英語の教育は、断言してしまうと、受験生や学者以外には、あまり意味がない。
それはそれで良いと思う。
高校生の時は、志望校に入りたくて勉強する人の方が、純粋に英語力を磨きたい人よりも多いと思うからだ。
第一、中高生は忙しい。
ただ、受験を離れて英語の教材を書店で見てみると、どうしても受験英語的な勉強の仕方から離れられていないものが多いように感じる。
まず、語彙。
クイズじゃないんだから、何も知っている単語数で競ってもあまり意味はないと思う。
ドイツに留学してドイツ語を勉強した際に、自分が大事だなと感じたことは、語学で重要なのは、「どれだけの数の単語を知っているか」ではなく、「知っている単語を使ってどれだけのことを表現できるか」ということだった。
武器の数より応用力の方が大事。
語学学習は、コレクションと言うよりも、ゲームに近い。もちろん、持ち駒が多いに越したことはないが、持っているだけで使い方が分からないなら意味はない。強いプレイヤーは、一つひとつの駒の操り方が上手だと思う。
しかも、学校教育では、たくさん単語は覚えるものの、語法はあまり勉強しない。和訳すると同じになる複数の単語のどれが正しいかとか、そういう語法を問う問題が少ない。
英語を使うという観点からすると、むしろこういう訓練の方が必要なのに。
次に、和訳。
もちろん、僕も、外国語を話したり書いたりするとき、頭の中に日本語がよぎってしまうが、手を動かして意識的に和訳する行為は、運用能力を高めるという意味での語学の勉強に、本当に必要かと言うと、そうではないと思う。
なぜかと言うと、和訳中心の勉強をしていくと、外国語を外国語として理解しにくいというのもあるし、何より、「和訳の上手さ」に意識が行ってしまうと思うからだ。学びたいはずの当の外国語からは意識が遠のいてしまう。これではあまり意味がない。
ドイツでドイツ語を学んだ時は、教材は全部ドイツ語で書かれていたので、問題もドイツ語だったが、例えばドイツ語の文の時制を変えたり、能動態を受動態にしたり、似た意味の別の表現にしたりと、問題の種類は豊富だった。
ドイツ語だけ使っても、ドイツ語学習のための問題はたくさん作れるのだ。
一方で、日本に一時帰国して書店で手にした学習本では、ドイツ語の構文を覚える教材のはずなのに練習問題は和訳問題が大半を占めていたのが印象的だった。
そうなると、どうしても和文の解説が付いていたり、和文で書かれた問題文に従って語順を整理したりと、何かと日本語に頼ってしまう気がする。
外国語の和訳が全て悪いと言っているわけではない。原文の正確な理解には和訳は良い方法だとは思うし、実際学生時代も今も自分は和訳が好きだ。
でも、大人になって英語を学び続けたいと思う人の多くは、センスの良い和訳をしたいのではなく、英語を使いたい人たちだと思う。
なので、語学の勉強という意味では、和訳力を磨く練習をそこまでする必要はないのではないだろうか。
ちなみに、他の語学の棚を見ると、運用面を重視した教材も増えてきていて、「こういうの、大学生だった時に出版されていたらなあ」と思うことがよくある。
ただ、英語については、受験英語というモデルが編集者の頭を離れないのか、それとも、教材の数があまりに多すぎて自分が見つけられていないのか、どうも痒いところに手の届く教材が少ない気がする。
そういう意味では、英語教育というのは、大学受験が過ぎたらサッパリ忘れてしまう文系数学よりも、後々まで影響するという意味で、タチが悪いのかもしれない。